国鉄DC11形ディーゼル機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
DC11形ディーゼル機関車(DC11がたでぃーぜるきかんしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道省がドイツから輸入したディーゼル機関車で、国鉄初のディーゼル機関車である。
DC11形と同時にドイツに発注され、相前後して日本に到着したDC10形ディーゼル機関車(DC10がたでぃーぜるきかんしゃ)についてもここで述べる。
[編集] 概要
昭和初期にはまだ日本で大型ディーゼル機関車の生産能力がなかったため、主にディーゼル機関車の研究用サンプルとして、電気式のものと機械式のものがそれぞれ1両ずつ国鉄の技師、伊東三枝(C53の設計主任)によりドイツから輸入された。
メーカーはディーゼル機関車の製造能力として当時世界最優秀といわれたメーカーが選択され、電気式のDC11形はエスリンゲン製(エンジンがマン製、電気部分はスイス・ブラウンボベリ製)、機械式のDC10形はクルップ製である。
2両とも同時に発注され、DC11形が1929年、DC10形が1930年にそれぞれ日本に到着した。
[編集] 構造・性能諸元表
形式 | 軸配置 | 運転台位置 | エンジン形式 |
(1時間定格) |
---|---|---|---|---|
DC10形 | 1C1型 |
|
上下対向12気筒(6気筒12ピストン) 2ストローク ディーゼルエンジン | 600PS/540rpm |
DC11形 | 1C1型 |
|
600PS/700rpm |
[編集] 国鉄初にして悲運のディーゼル機関車
日本に到着した両機はまず鷹取工場に持ち込まれて完全に分解され、構造の調査が行われた。再組み立て後、公式試運転を行ったのちに鷹取機関区に配置され、神戸港周辺の入換用として使用開始された。
しかし、2両とも非常に故障が多く、予備部品がないこともあって保守点検に大変な手間を要した。ディーゼル機関車の一流メーカーが製作した車両ではあったが、そもそもこのクラスのディーゼル機関車の技術自体も当時まだ完成されていなかったといわれている。エンジンに亀裂が入るなど致命的な故障を起こし両機とも1935年頃に休車となり、鷹取工場内に長い間放置されていたが、太平洋戦争末期に失われた(空襲により被災したとも、鉄材供出のため解体されたともいわれている)。
このように車両自体は全くの不成功に終わった車両であったが、DC11形とDC10形では動力伝達方式をはじめ構造に対照的な点が多く、この比較検討が可能であったという点でもその後の日本のディーゼル機関車開発における礎となったのは間違いない。
日本国有鉄道のディーゼル機関車 |
---|
DB10/DC10・DC11/DD10・DD11・DD12・DD13・DD14・DD15・DD16・DD17・DD18・DD19・DD20・DD21 DD40(DD92)・DD41(DD90)・DD42・DD91・DD93 DD50・DD51・DD53・DD54/DE10・DE11・DE15・DE50/DF41(DF92)・DF90・DF91I・DF40(DF91II)・DF93/DF50 ケDB10・ケDB11 |
カテゴリ: 分割提案 | 日本のディーゼル機関車 | 日本国有鉄道 | 鉄道関連のスタブ項目