地獄八景亡者戯
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地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、上方落語の演目の一つである。江戸落語では「地獄めぐり」と呼ばれる。
旅噺に分類され、「東の旅」こと「伊勢参宮神之賑」の一部に組み込まれたこともある(作中に登場する軽業師「和矢竹の野良市」は「東の旅」の一つ「軽業」に名が見られる)。
通しで演じると1時間超である上、全編を通じて時事ネタを交えたギャグが入り、身ぶり手ぶりを交えた演出も多いなど、話し手にかなりの力量を要求する大ネタである。
3代目桂米朝の十八番として知られるが、1990年(平成2年)11月の「正岡容三十三回忌追善公演」(東京・イイノホール)を最後に演じなくなった。代わりに米朝一門を中心とした中堅世代が、次へのステップアップとして挑戦するケースが増えている。
米朝以外では2代目桂枝雀、桂文珍、桂吉朝らの口演が知られる。
天保年間に起源を求めることが出来る演目であるが、昭和戦前期には5代目笑福亭松鶴(SPレコードが残っているが松鶴は演題が少し違う。タイトルは弥次喜多地獄の旅)、3代目笑福亭福松らが伝えているに過ぎなかった。今日の「地獄八景」は、米朝が1954~55年頃に福松から教わり(福松が晩年に京都で演じたのを見に行っているが晩年だったので聞き取りにくかったらしい。)、再構築したものを基にしている。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
サバを食べて食当たりで死んだ男が冥土で伊勢屋のご隠居と再会するところから始まり、三途の川下り、六道の辻、塞の河原、閻魔の庁などおなじみの地獄の風景を主人公が入れ替わりつつ描写し、地獄行きの判決が下った4人の男があれやこれやの手で鬼を困らせる下りまでを描く。
通常のオチは漢方薬の大黄にかけているが、馴染みにくいこともあり、枝雀は「嘘をついたら地獄で閻魔大王に舌を抜かれる」という警句を踏まえたオチに変えている。
三途の川岸のお茶屋の娘が三途河(しょうづか)の婆の半生や渡し舟の変遷を語る場面や塞の河原の場面は、世相を反映したギャグを入れやすい。米朝は渡し舟の件りでポートライナーやウォーターライドを登場させ、1990年の京都での口演(毎日放送『特選!!米朝落語全集』収録)では塞の河原を、当時タレントショップが相次いで進出していた東京・表参道に見立てていた。
六道の辻の寄席では古今東西の落語の名人上手が居並ぶが、米朝はここで自身の名を出して「近日来演」とやるくすぐりを入れる。米朝の実子・小米朝はここに「20年も前から『近日来演』の札が掛かっている」とツッコミを入れる。また江戸落語の「地獄めぐり」では、特にベテランの落語家が口演する際、この場面で7代目立川談志を登場させて揶揄する場面が見られる。
閻魔の庁へ向かう途中に見える「紙の橋」のスケッチでは、米朝は口演時点での人気力士の名を出して、体重ではなく渡る者の罪が重いと崩れると言われる橋の特徴を述べるが、ここで比較対象として、上方噺家の中でも一、二を争う痩身だった3代目桂文我と2代目桂春蝶を登場させて、笑いを取っていた。
恐ろしい形相で閻魔大王が出御する場面は、CD・DVDのジャケットを飾るなど本演目の象徴であるが、もとが童顔の枝雀は敢えて柔和な表情で登場してみせた。また米朝は閻魔の顔を見せた後、片手で顔を隠しつつ「これやるとしばらく顔が元に戻らんようになります」とくすぐりを入れている。
閻魔の庁での一芸披露大会では、枝雀は動物の物真似を、吉朝は師・米朝ら先輩落語家の「出」(高座に上がること)を出囃子付きで演じてみせる。