増渕竜義
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増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日-)は、埼玉県出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。ポジションは投手。
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[編集] 来歴・人物
[編集] アマチュア時代
- 中学時代から投手として活躍し、高校進学に際しては浦和学院、春日部共栄などの地元の強豪私学からの勧誘もあったが、あえて公立有力校の鷲宮高校に進学する。鷲宮高校を志願した理由は、「公立高校の方が埼玉らしい」「公立の高校に入って私立の強豪校を倒したい」との発言の他、他方面で選手勧誘をする私立高校のやり方に疑問を投げかけていたこともあった。これは埼玉新聞でも大きく特集されている。
- 1年生の秋からエースとなり、3年生で迎えた2006年夏の選手権大会埼玉県予選では、5回戦の対市立浦和高校戦で15奪三振のノーヒットノーランを達成して耳目を集めた。さらに決勝まで進出し、強打の浦和学院を相手に力投するが0対4で敗れ、甲子園出場はならなかった。
- 私学優位の埼玉県高校球界ということもあり、上述のとおり甲子園出場は叶わなかったが、均整の取れたフォームから投げ込まれるMAX149キロの速球は、2006年の高校生ドラフトの目玉だった。そのドラフト会議において、東京ヤクルトスワローズと西武ライオンズから指名を受ける。抽選の結果、スワローズが交渉権を獲得。なお、外れた西武は木村文和投手(埼玉栄高校)を指名している。木村文和は、増渕が県内では特に意識していた存在であるようで、お互いに良きライバルとして切磋琢磨した仲でもある。
- 本来高校生が希望球団を口にすることは禁じられているが、ドラフト会議前の取材においてオフレコでスワローズ志望であることを明かしていた事が、ドラフト会議後の報道で明かされている。指名会見では「ヤクルト自体が好き」と喜びを表した。
- 武器はプロですぐ通用するといわれている自慢の直球。変化球はそれ程投げる頻度は多くなく、スライダーとシンカーがある他、フォーク、カーブも時折投げる。
[編集] プロ入り後
- 2007年は一軍キャンプでスタートしている。
- 既にプロに入って149km/hを記録した(2月25日の対日ハム戦。また、その日のyahoo!プロ野球では、辻内と誤記されていた)。調整は早いペースで進んでいるが、一方で投球のほとんどが得意の直球であり、変化球の制球に課題を残す。
- 先発投手陣に故障者の多いチーム事情から、高卒1年目にして、先発ローテーション候補の1人にも数えられたが、登板日の日程もあり、実現しなかった(実現していれば川崎憲次郎以来となっていた)。
- 4月4日付けで一軍に登録された。翌5日の登板が予定されていたが、降雨中止によって見送られている。
- 4月7日セントラルリーグ公式戦対広島東洋カープ2回戦に先発し、プロ入り初登板。7回を投げ、打者26人に86球、被安打4(被本塁打1)、奪三振5、与四球1、失点1(自責点1)と素晴らしい投球を披露した。
- プロ入り初打席はフルカウントからの四球を選び出塁した。
[編集] プロフィール
- 身長/体重 184cm/79kg
- 右投げ・右打ち
- 出身地 埼玉県草加市
- 球歴 鷲宮高校-東京ヤクルトスワローズ(2007~)
- プロ入り年度/ドラフト順位 2006年/高校生1巡目
[編集] エピソード
- スリークォーター気味(サイドスローと言われることもある)のフォームと、剛速球、埼玉の公立高校出身という共通点から斎藤雅樹の再来ともいわれる。
- 女手一つで育ててくれた母は、ヤクルトの販売員をして増渕を育てた。増渕自身、インタビューでは母への感謝の気持ちを口にしている。ヤクルトからの指名を受け、「運命を感じる」とも語っており、プロ入り前からヤクルトと縁のある選手である。
- 仮契約の際には、五十嵐亮太投手を目標にあげ、「直球で真っ向勝負」したいと語っている。
- キャンプで初めて古田敦也選手兼任監督にボールを受けてもらった時に、全く緊張しないどころか、グラブのジェスチャーで古田に誘導を行い、その度胸が話題となった。これは高校時代に声を出して球種を指示する習慣が無かったためのようである。
- その期待から早くも古田監督から、「プロ投手の心得5カ条」を聞いた。
- 初登板の練習試合では、148km/hが最速だったが、スポニチでは相手のチームのスピードガンでは152km/h出たと報じられた。つまり増渕は自己最速より3km/h上回るスピードを出したことになるが、本人は「コントロールがよくないと通用しない。」「いい当たりも打たれたし、痛い目に遭わないと自分のためにならない」と振り返った。
[編集] 投球スタイル
- スリークォーターのフォームから非常に伸びのあるストレートを投げ込んでくる本格派投手。投球のほとんどがストレートでありながら相手打者がよく振り遅れているのが目に付く。変化球、コントロール共に未熟ながらほとんど打たれていないのはこのストレートが非常に大きい。今後は変化球を低めに集めることが課題である。
[編集] 背番号
- 63(2007年- )
- 余談だが背番号の由来は増渕自身の昭和63年生まれにちなんでいるらしい
[編集] 関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 古田敦也
- 木村文和 - 西武の外れ1位。埼玉栄高出身。増渕と共に埼玉県屈指の投手といわれた。
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