大石良重
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大石良重(おおいし よししげ、元和5年(1619年)頃 - 天和3年5月18日(1683年6月12日))は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野家の家老。忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の大叔父。通称は頼母助(たのものすけ)。
赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助良勝の次男として誕生。兄の大石良欽が大石家1,500石の家禄と赤穂藩筆頭家老職を受け継いだが、藩主浅野長直の信任を得て、この良重も450石取りの家老となり、長直の姫である鶴姫を妻に迎えている。その間に又太郎(早世)・亀之助(早世)・女(浅野長直養女として松平主馬助定逸の室となる)・浅野長恒(3,000石の幕府旗本)・浅野長武(3,000石の幕府旗本)の四男一女に恵まれた。延宝5年(1677年)に兄良欽が死去した後は、その遺児大石良雄が大石家の家督を相続したが、良雄は19歳という若年であったため良重が良雄の後見人についた。天和3年(1683年)2月に若き藩主浅野長矩がはじめて勅使饗応役に任じられたときには江戸にあり、長矩を補佐した。良重の支えがよかったのか、この時の長矩は17歳という若年にして無事お役目を果たした。安井彦右衛門と藤井又左衛門に支えられた十八年後とはえらい違いであった。このお役目を無事終えたあとの5月18日に江戸で死去。享年65。芝二本榎の国昌寺に葬られた。
[編集] ドラマにおける頼母助
大河ドラマ元禄繚乱ではいかにも好人物で世慣れた田舎の藩の家老として描かれていた。なお、この物語では参勤交代の帰路に発病し、国許で亡くなるという設定になっている。