大銀杏
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大銀杏(おおいちょう)とは、
大銀杏(おおいちょう)とは、大相撲において、十両(十枚目)以上の関取が結うことができる髪型である。また、幕下力士でも、十両との取組がある場合や、弓取式を行う際には結うことができる。髷(まげ)の先端が銀杏の葉に似ていることからこの名がある。
[編集] 歴史
江戸時代、まだ力士も月代を剃っていた時代は今とは逆に髷の後ろを真上から見た時に銀杏の葉の形に似ているためにこう呼ばれていた。本来は銀杏髷と呼ばれる結い方のバリエーションで、髷の部分が大きいものを大銀杏と呼び、江戸時代の武士に好まれた結い方であった。当時の大銀杏の形態は谷風梶之助や雷電爲右エ門などの錦絵で今に伝わっている。いつ現在の大銀杏に変わったかは不明だが1914年(大正3年)に行なわれた常陸山谷右エ門引退土俵入りの写真ではまだ髷の先端は開いていないように見える。
関取経験のない力士でも生涯1度だけこの大銀杏を結う機会が与えられる。引退後の断髪式では最高位に関係なく大銀杏を結って行うことになっているためである。ただし親方と話をつけずに逃げ出して辞めた場合はこの機会は失われる。
明文化された規則としては、十両以上の関取は本場所では大銀杏を結うことを原則とする、とされている。よく「大銀杏を結えないほど頭髪の衰えた力士は引退しなくてはいけない」と言われるが、これはまったくの誤解である。北勝海信芳は横綱昇進後髪が薄くなり、大銀杏をかろうじて結えるほどにまで至った為、北勝海はハゲが原因で引退したと言う俗説も流れたが、真相は持病の腰痛が悪化し、現役続行が困難になったためである。確かに頭髪を理由に引退したといわれた力士も過去には存在したが、近代大相撲においてはあくまで当人の美意識にまかせられる問題であって、現行規則では大銀杏を結えないことで出場停止などの罰則が与えられることはない。
しかし、横綱土俵入りの際には太刀持ち、露払いを行う力士は大銀杏を結わければいけないという暗黙のルールがある。2000年7月場所には、当時横綱だった曙太郎は弟弟子でその場所に新入幕を果たした高見盛精彦に露払いを依頼した。しかし、当時の高見盛は大銀杏が結えず丁髷姿であったため、相撲協会側は露払いをつとめる事を許可しなかったという。
春秋園事件で脱走、のちに帰参した力士たちは断髪姿で十両や幕内の土俵をつとめた。輪島大士、朝潮太郎 (4代)のように幕下付け出しからのスピード出世に髪ののびが間に合わず、ザンバラ髪で幕内の土俵に上がった例もある。また、琴龍宏央は幕下在位時に髷を切り落として一旦脱走したため、新十両の場所はざんぎり頭で土俵に上がった。平成18年(2006年)5月場所新入幕の把瑠都凱斗は髪質の問題もあってまだ大銀杏が結えず、終盤まで優勝争いに加わったことで、ちょん髷姿で千秋楽の三役揃い踏みに出場することになった。
勝負にかかわる規則として、相手力士の髷をつかんだ場合反則負けになる、と定められている。ただし、現在ではよほど悪質な場合、明らかに故意に髪をつかんだ場合や髪を引っ張ったために相手力士が倒された場合などにこの規則が適用される。
また、髪も当然身体の一部であるので、髷が土俵上や土俵外につけばこれは負けとされている。しかし、投げの打ち合いなどで両力士がほぼ同体で倒れた時、多少はやく髷がついたとしても負けにはならないと定めた勝負規則もある。1980年9月場所、貴ノ花が高見山との投げの打ち合いで、髷が先に落ちたために負けとされた一番が有名だが、実はこれは誤審であり、この取組後、「髷がなければ勝っていたのに」と聞いた新聞記者に対して、貴ノ花が「髷がなかったら相撲が取れないよ」(あるいは、「髷がなかったら力士じゃないよ」とも)と答えたエピソードは、大銀杏への関取衆の愛着と誇りをあらわすものとして、しばしば引用される。
なお、関取でも稽古の時など、普段結う髷は丁髷である。大銀杏はあくまで正装とみなされているためである。
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