女人禁制
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女人禁制 (にょにんきんせい)とは、女性に対して社寺や霊場、祭場などへの立入りを禁じ、男性主体の修行や参拝に限定する事。
女性の月経に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を排除して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。
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[編集] 女人結界
特に、霊山における入山規制の結界を「女人結界」と言い、その境界には女人境界石が建てられていた。しかし、信仰心の篤い女性信者のために、結界の外に女性が念仏に励む場所として女人堂が建てられた。また、女性の参拝・修行を許可した場所を「女人高野」という。
明治時代の文明開化以降、多くの山の女人結界が解除されたが、極一部では未だに残っており、また近年、女性の社会進出と共に「女人解禁」が議論され、解禁された場所もある。
[編集] 由来
霊山などへの女人禁制は、主に修験道の伝統にもとづくが、これは鎌倉仏教の女性観に基づくものである。女性が修行の妨げになるためだと言われているが、そもそも日本で最初の出家者は尼であり、この説には異論もある。一説には巫女やイタコといった「女性には霊がつきやすい」から荒修行が女性には困難である、というかつての信仰が言われている。また修験道の修行地が未踏の厳しい山岳地帯であったためとの見方、更に山神が女神であることから女神の嫉妬を避ける為との説もある。各々の場所に各々の由来があり、またそれらが絡み合い変容していく場合もあり、一般論を導き出すのは困難といえる。
祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことであり、古事記には祭りに女性が参加していた記述が見られる。むしろ古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。
[編集] 女人禁制に対する反対(大峰山の事例)
2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する人々が結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーが、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果改めて話し合いの場を設けることで合意して解散したが、その後問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー3人が登山を強行した。この行為に対し寺院側、反対派地元住民、およびいくつかの報道機関が批判を行った。 ○プロジェクト側の行動を賞賛する意見(男尊女卑を肯定する象徴であり、男女共同参画理念に反する悪習である) もある一方、 ○女人禁制は日本に根付いた文化である(科学的理由が無くとも因習としての理解が必要) として批判する意見も見られる。(プロジェクト側は誇張して事実を伝えられているとしてこれに反論)
[編集] 女人禁制とされている(されていた)場所
- 山岳・霊場
- 祭り
- その他の場所