子供の領分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
子供の領分(こどものりょうぶん、Children's Corner)は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1908年に完成させたピアノのための組曲である。
この作品は当時3歳だったドビュッシーの娘クロード・エマ(愛称はシュシュ)のために作曲された。この作品は子供に演奏されることを意図したものではなく、あくまでも大人が子供らしい気分に浸ることを目的とした作品である。この点において、ロベルト・シューマンの子供の情景とも通じる精神がある。
目次 |
[編集] 曲の構成
『子供の領分』は、6つの小品からなる組曲であり、各々の楽曲には英語のタイトルが付されている。1905年、ドビュッシーは前妻・リリー・テクシエと離婚し、銀行家夫人だったエマと駆け落ち同然に再婚する。 そしてその年、一人娘のクロード・エマ(愛称 “シュシュ”)が誕生。 43歳にして初めて授かったこの子を、ドビュッシーは溺愛した。 この作品は、彼女に捧げられている。 愛称のシュシュのフランス語表記は"chou chou"。"chou"はキャベツのこと。 題名が英語表記なのは、エマ夫人の英国趣味に影響されたものと言われている。
[編集] 1. Doctor Gradus ad Parnassum
第1曲『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』は、ムツィオ・クレメンティの練習曲集『グラドゥス・アド・パルナッスム(パルナッスム山への階段)』のパロディであり、練習曲に挑戦する子供の姿を生き生きと描いたものとされる。退屈な練習に閉口する子供の心理を、巧みに現した興味深い曲。
[編集] 2. Jumbo's Lullaby
象の子守歌。5音音階による旋律と2度の和音が異国情緒を掻き立てる。ドビュッシー自身の命名は「Jumbo's Lullaby」であったが、フランス語では Jumbo と Jimbo の発音が同じようになることから、出版社によるミススペル(Jimbo's Lullaby)が広く定着することとなった(現在のデュラン社による新校訂版では、元来の綴りに戻されている)。
[編集] 3. Serenade for the Doll
人形へのセレナード。 この曲集中、一番最初に作られたのがこの曲。 1906年には単曲の楽譜も出版されている。 表題の英語表記は、「本当は"Serenade for the doll"が正しいのでは?」という指摘がなされている。 いかにも英語が苦手なフランス人らしい。
[編集] 4. The Snow is Dancing
雪は踊っている。静かに舞い降りていく雪を、窓辺で飽きることなくじっと眺めている子供たち。 時には風に舞い、時にはちらほらと・・・強くなったり弱くなったりしながら降り続く。
[編集] 5. The Little Shepherd
小さな羊飼い。おそらくグリーグの「抒情小曲集」を念頭に置いて書かれている。
[編集] 6. Golliwog's Cakewalk
6曲中最も有名なのが第6曲『ゴリウォーグのケークウォーク』である。ゴリウォーグとは絵本に出てくるキャラクターの名前でケークウォークは黒人のダンスの一種である。この曲は、西洋音楽とアフリカの黒人音楽の接触の初期の例のひとつとしてしばしば挙げられている。ケークウォークの中間部では、ヴァーグナーのオペラトリスタンとイゾルデの冒頭部分が引用されている。
[編集] 出版、初演
子供の領分は、1908年、デュラン社から出版され、その年の12月18日、パリにて初演された。1911年、アンドレ・カプレによってオーケストレーションがなされ、その年の3月25年にその初演が行われた。
[編集] 関連項目
- 第24話「ヒトガタ」 :『Serenade for the Doll』『The Snow is Dancing』
- ただし、スタッフのミスなのかエンディングでは『子供の情景』と表記されていた。(こちらの作曲者はロベルト・シューマン)
- 第二十五話「闇」:『Jumbo's Lullaby』 『The Little Shepherd』