学校法人慶應義塾
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学校法人慶應義塾(がっこうほうじんけいおうぎじゅく)は日本の学校法人。創設者は福澤諭吉。日本の代表的な私学の一つである。
2008年には創立150年を迎え、150周年記念事業の計画が進められている[1]。
目次 |
[編集] 設置している大学・学校等
[編集] 大学
- 慶應義塾大学(三田、日吉、矢上、信濃町、湘南藤沢の各キャンパス)
- 大学院経営管理研究科(ビジネススクール)
[編集] 高等学校
- 慶應義塾高等学校(神奈川県横浜市港北区)
- 慶應義塾女子高等学校(東京都港区)
- 慶應義塾志木高等学校(埼玉県志木市)
- 慶應義塾ニューヨーク学院(米国ニューヨーク州パーチェス)
- 慶應義塾湘南藤沢高等部(神奈川県藤沢市遠藤)※中高一貫校
[編集] 中学校
- 慶應義塾普通部(神奈川県横浜市港北区)
- 慶應義塾中等部(東京都港区三田)
- 慶應義塾湘南藤沢中等部(神奈川県藤沢市遠藤)
[編集] 小学校
- 慶應義塾幼稚舎(東京都渋谷区恵比寿 (東京都)|恵比寿)※幼稚園ではない
[編集] 各種学校
- 慶應義塾外国語学校(東京都港区)
[編集] 過去、設置していた学校
[編集] 慶應義塾の沿革
未執筆
[編集] 慶應義塾歴代塾長一覧
1881年の塾長職制度化後の歴代塾長一覧。慶應義塾規約により塾長は学校法人慶應義塾の理事長と慶應義塾大学の学長を兼ねるとされる。
氏名 | 就任時期 | 略歴 |
---|---|---|
浜野定四郎 | 1881年 - 1887年 | - |
小泉信吉 | 1887年 - 1890年 | 横浜正金銀行支配人 |
小幡篤次郎 | 1890年 - 1893年 | 英学者 |
鎌田栄吉 | 1898年 - 1922年 | - |
福澤一太郎 | 1922年 - 1923年 | 福澤諭吉長男 |
林毅陸 | 1923年 - 1933年 | - |
小泉信三 | 1933年 - 1946年 | 経済学者 |
高橋誠一郎 | 1946年 - 1947年 | 元・経済学部長 |
潮田江次 | 1947年 - 1956年 | 元・法学部長、福澤諭吉孫 |
奥井復太郎 | 1956年 - 1960年 | 元・経済学部長、都市社会学者 |
高村象平 | 1960年 - 1965年 | 元・経済学部長 |
永沢邦夫 | 1965年 - 1969年 | 元・法学部長 |
佐藤朔 | 1969年 - 1973年 | 元・文学部長 |
久野洋 | 1973年 - 1977年 | 元・工学部長 |
石川忠雄 | 1977年 - 1993年 | 元・法学部長 |
鳥居泰彦 | 1993年 - 2001年 | 元・経済学部長 |
安西祐一郎 | 2001年 - | 元・理工学部長 |
[編集] 慶應義塾評議員会
評議員会とは、慶應義塾の経営面における最高意思決定を司る機関である。評議員には、綿貫民輔国民新党代表・元衆議院議長や、北城恪太郎経済同友会代表幹事・日本IBM会長らが名を連ねる。
[編集] 慶應義塾の事務部門
慶應義塾の事務は、塾監局が中心となって担当している。形式的には教務部(現学事センター)も塾監局に属する組織であって、大学に属する組織ではない。三田以外の各キャンパスに所在する事務室も塾監局の支部の扱いである。ただし、大学病院のある信濃町キャンパスについては、従前は医学部事務局が塾監局の支部として存在していたが、病院経営改革に伴い、大学病院事務局(病院経営ボードに直属)と信濃町キャンパス事務室(塾監局の支部)とに分割されている。
塾監局の系統に属さない組織としては学生部(現学生総合センター)やメディアセンター(図書館)等があり、これらは主として大学に属する組織である。
近年は上記以外にも塾監局の系統に属さない組織(塾長室、広報室、研究支援センター等)が増加している。
なお、慶應義塾の職員は、大学病院や信濃町キャンパス、矢上キャンパスの技術系の職員を除いて、上記の組織の系統の違いに関わらず異動がありうる。