学校法人玉川学園
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玉川学園(たまがわがくえん)は、東京都町田市玉川学園地区にある学校法人である。最寄り駅は、小田急小田原線玉川学園前駅。
沢柳政太郎が創立した成城学園から1929年に枝分かれして、成城学園小学部の訓導(校長)だった小原国芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。キリスト教精神に基づいた宗教教育を行っている(ただし、キリスト教学校教育同盟などには加盟していない)。
設立当初は小学部のみで、その後中学部、高等部、大学と拡張していった。日本国外の教育指導者を直接招いたり、玉川児童百科大辞典を編纂するなど、先進的な活動を第二次世界大戦前から行っていた。
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[編集] 立地
幼稚園から小中高と大学まで同一キャンパスにある。小中高までをまとめて「K-12」と称した独自の教育を実践している。 またこの広さゆえ、実質的な住所は町田市であるものの、実際には東京都町田市(文学部)、神奈川県川崎市麻生区(農学部)、横浜市青葉区(工学部)、と3市に敷地がまたがっており、敷地内には戦時中の防空壕や、古代の遺跡も存在する。キャンパス内に小田急線のトンネルがある。
町田市では周辺の住宅地も含めて「玉川学園○丁目」という住居表示になっている。これは当初、玉川学園が地域一帯の山野であった土地を買い取り、玉川学園前駅を誘致(建設費用は玉川学園負担)することで住宅地として開発し、校地以外を住宅地として分譲しながらその資金を学校の運転資金として活用したためである。当時のお金で500坪を500円で販売し、教師には200坪200円の廉価で販売したという。現在でも教職員の住宅は、旧職員やその家族のものも含めて、玉川学園の住宅地のあちこちにまとまって散在している。また、その教育理念に賛同して宅地を購入移転してきた人たちには、学者、芸術家などの文化人が多数あり、その中には遠藤周作、田河水泡など有名人も多い。
[編集] 施設
聖山、農場・牧場、玉川池、松下村塾(模築)、健康院、咸宜園、松陰橋、ゴルフ練習場、など100を超える施設がある。キャンパス内を鉄道線路が横断しており電車が通過し、それが気に入って薬師丸ひろ子が、この大学に入学したというのは有名な話。 数年前までは塾という寮が存在し、男子塾と女子塾があった。塾生たちは、塾生活を自主運営していた。さらに教職員の自宅も学園内に点在していたという。 りんどう食堂(800席)をはじめ、学生食堂は全部で4カ所ある。設備はかなり充実していて数え切れないほど。高学年校舎が2006(平成18)年8月に完成し、美術・造形の各分野の設備が整ったアートセンターが2006(平成18)年1月に完成する。 校外施設には、箱根(神奈川県箱根町)約77万m²、北海道(北海道弟子屈町)約122万m²、鹿児島(鹿児島県坊津町)約10万m²、カナダ(カナダバンクーバー島ナナイモ市)約34万m²がある。ナナイモキャンパスは主に、中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。 職員駐車場はグラウンド地下にあり、キャンパスの電線も地下埋設化され、多くの木々に囲まれた美しい景観が保たれていている。
[編集] 玉川大学
- 詳細は玉川大学を参照
1929年(昭和4年)成城学園から独立した創立者小原國芳により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校された玉川学園を母体とする。 1942年には学園内に国の主導のもと準官立大学として興亜工業大学(現・千葉工業大学)が創立されたが、これは元々、小原國芳の構想だった。当時は戦時下で工学系の大学設置が比較的容易だった事と全人教育が当時の軍国主義教育と相容れず、工学部を設置することで官憲(特に軍部)からの圧力を回避したという見方もある。設置の際には玉川学園の土地の一部も興亜工業大学名義に書き換えた。しかし、大学設立時に(大学の運営に関して)官僚に過ぎた接待をした責任を問われて小原國芳は学長にはなれず、初代学長は宗教哲学者の波多野精一だった。現名誉総長の小原哲郎が戦地にいるうちに終戦の混乱の中で興亜工業大学に対する経営権を失ない、同大学は千葉県に移転して千葉工業大学となってしまった。その後、千葉工業大学から苦労して玉川学園の土地を時価で買い取った話は有名である。 1949年に新制玉川大学となり文学部と農学部を設置。1950年には、全人教育を広く社会に開放することを目的として通信教育部がスタートし、日本初の「小学校教員免許状」を取得可能な課程として注目された。 1962年に悲願の工学部設置(再興)、2002年に経営学部を設置。2003年に文学部から教育学部・芸術学部が独立し6学部になり、法学系、医療系の学部や学科はないが、文系・理系を擁する総合大学に成長した。 現在の学長は小原芳明。総長は小原哲郎。創立者の孫と子供にあたる。
[編集] おもな出身者
- 詳細は玉川学園の著名な出身者を参照