守邦親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
守邦親王(もりくにしんのう、正安3年5月12日(1301年6月19日) - 正慶2年/元弘3年8月16日(1333年9月25日))は、鎌倉幕府9代征夷大将軍で、鎌倉幕府最後の将軍である。
- 8代将軍久明親王と、7代将軍惟康親王の娘の子として生れる。
- 延慶元年(1308年)8月、父の久明親王に代わってわずか8歳で征夷大将軍に就任したが、当時幕府の実権は執権の北条氏(中心は得宗家)が握っており、鎌倉将軍は名目的な存在に過ぎなかった。
- 元弘3年(1333年)、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒運動が起きると、鎌倉は足利義詮や新田義貞の攻撃により陥落。結果、鎌倉幕府は滅亡する。
- 守邦親王は将軍職を辞して出家し、同年鎌倉で死去した。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
- 延慶元年(1308年)8月10日、征夷大将軍宣下。時に、守邦王。10月、立親王。三品に叙せらる。時に、守邦親王。
- 文保元年(1317年)4月19日、二品。
- 元弘3年(1333年)5月22日、征夷大将軍辞職。出家。
[編集] 将軍在位時の執権
- 北条師時(宗政の子。10代執権)
- 北条宗宣(宣時の長男。11代執権)
- 北条煕時(為時の長男。12代執権)
- 北条基時(時兼の長男。13代執権)
- 北条高時(貞時の長男。14代執権)
- 北条貞顕(顕時の四男。15代執権)
- 北条守時(久時の長男。16代執権)
[編集] 関連項目
鎌倉幕府将軍 |
---|
源頼朝 | 源頼家 | 源実朝 | 藤原頼経 | 藤原頼嗣 | 宗尊親王 | 惟康親王 | 久明親王 | 守邦親王 |
カテゴリ: 1301年生 | 1333年没 | 征夷大将軍 | 平安・鎌倉時代の皇族