小鳴門橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小鳴門橋(こなるとばし、Konarutobashi BRDG.)は、小鳴門海峡に架かる全長441.4m・最大径間160m[1]・幅員7m(2車線)・高さ23.5mの吊り橋である。北緯34度11分33秒東経134度36分44秒に位置し、徳島県鳴門市の撫養町大桑島(四国)と鳴門町土佐泊浦[2](大毛島)を結ぶ。徳島県道11号鳴門公園線が通る。
目次 |
[編集] 概要
神戸・鳴門ルートの実現をPRする目的で、また鳴門公園へ至る観光道路として計画された当橋梁は、1959年11月に起工し、1961年7月に開通した。開通式には、本四架橋や神戸市のまちづくりに尽力したことで有名な原口忠次郎(当時の神戸市長)も訪れた。総工費は約3億4千万円で、そのための資金を関西電力及び四国電力が徳島県に貸し出したとのことである。これを返還するために当初は有料道路の形で供用されていたが、1977年に無料開放された。その後、1987年に撫養橋が開通する迄の間、当橋梁が淡路島と四国を結ぶ役目を果たしていた。なお現在でも、淡路島・四国間を移動する自動車の1ないし2割程度が当橋梁を利用していると考えられる。また、橋のたもと(四国側)には小鳴門橋バスストップがある。
[編集] 完成までの道程
年月 | 出来事 |
---|---|
1949年9月 | 鳴門市観光開発計画に構想が盛り込まれる。 |
1955年8月 | 当時の鳴門市長が記者会見で私案を発表する。 |
1957年6月 | 徳島県が、当時の日本道路公団総裁に有料道路の形での架橋を陳情するも断られる。 また当時の鳴門市長が、期成同盟会の結成を市議会に提案するも見送られる。 |
1958年3月 | 民間団体による期成同盟会が発足する。 |
1958年7月 | 徳島県及び鳴門市の両議会が調査費を半額ずつ計上する。 |
1958年8月 | 海底ボーリングと測量が完了し、調査結果が出る。 そして当時の徳島県副知事が建設省に対し、国道28号の一部として工事するよう陳情する。 |
1958年9月 | 関西電力が徳島県に対し、鳴門海峡をまたぐ送電線計画の承諾を交換条件に、建設費融資の話を持ちかける。 (以後、とんとん拍子で建設への動きが進展する。) |
1959年10月 | 県議会において建設が決議される。 |
1959年11月 | 徳島県鳴門土木出張所に橋梁係が新設される。 |
1959年12月 | 工事が始まる。 |
1960年1月 | 徳島県及び鳴門市が鍋島を用地買収する。 |
1960年2月 | 耐風強度に関しての実験を依頼していた東京大学より、最大風速73mまで安全であるとの報告を受ける。 |
1960年4月 | 工事における最大の難関であった潜函の移動を終える。 |
1960年7月 | 潜函を岩盤に固定する。 |
1960年11月 | ケーブルを張る作業が開始される。 |
1961年7月 | 当初の計画より約100日遅れて、完成する。 |
[編集] 有料道路
当橋梁では、開通式翌日の1961年7月31日から通行料が徴収されていた(普通車150円)。その後、大毛島と神戸港・阿那賀港を結ぶ水中翼船・フェリーが就航したことに加え、モータリゼーションの進展も相まって、徳島県が管理する有料道路の中で唯一の黒字道路となった。それ故、1977年3月27日に予定よりも早く無料開放がなされた。
[編集] 歩行者・自転車の通行
当橋梁は、歩道が無い上に路肩が数十cm程度と極めて狭いことから、全線において、7時から21時迄の間、駐停車禁止の規制が敷かれている。また、規制はされていないものの、歩行者・自転車での通行が困難な状況にある。なお、鳴門市営の渡船[3]を利用すれば、当橋梁を通行しなくても小鳴門海峡を渡ることができる。
[編集] 小鳴門海峡・鳴門海峡に架かる橋梁の名称
小鳴門海峡及び鳴門海峡に架かる計5つの橋梁のうち、撫養橋を除いた4つの橋梁に関しては、いずれも名称が似ており区別がつき難い。また当橋梁と大鳴門橋は、対語の関係にある。詳細は下表に記した。
橋梁 | 読み | 完成年 | 形式 | 海峡 | 島 | 道路 | 車線数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
小鳴門橋 | Konaruto Bashi | 1961年 | 吊り橋 | 小鳴門海峡 | 大毛島~四国 | 徳島県道11号鳴門公園線 | 2 |
小鳴門新橋 | Konaruto Shinbashi | 1971年 | アーチ橋 | 小鳴門海峡 | 島田島~四国 | 徳島県道183号亀浦港櫛木線 | 2 |
大鳴門橋 | Ōnaruto Kyō | 1985年 | 吊り橋 | 鳴門海峡 | 淡路島~大毛島 | 神戸淡路鳴門自動車道 | 6[4] |
撫養橋 | Muya Bashi | 1987年 1998年 |
桁橋 桁橋 |
小鳴門海峡 | 大毛島~四国 | 神戸淡路鳴門道(上り線) 神戸淡路鳴門道(下り線) |
2 2 |
小鳴門大橋 | Konaruto Ōhashi | 1998年 | 斜張橋 | 小鳴門海峡 | 高島~四国 | 徳島県道11号鳴門公園線 | 4 |
[編集] 注・参考文献
- ^ 1962年9月に若戸大橋が完成するまでは、当橋梁が日本最長の径間を有す吊り橋であった。
- ^ 当橋梁の北詰め付近に位置する土佐泊は、土佐日記を書いた紀貫之が京へ戻る際に立ち寄った場所である。
- ^ 運賃は無料である。詳細については、鳴門市土木課ホームページを参照されたい。
- ^ 6車線分のスペースを確保して建設されたが、開通以来、暫定4車線で供用されている。
5. 竹内理三(1986年):『角川日本地名大辞典 36徳島県』角川書店
6. 鳴門市史編纂委員会(1999年):『鳴門市史 現代編1』鳴門市