山口良一のオールナイトニッポン
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山口良一のオールナイトニッポン(やまぐちりょういち - )はニッポン放送の深夜放送オールナイトニッポンで放送されていたラジオ番組。パーソナリティは山口良一。1982年4月6日に火曜2部で放送開始、同年10月に金曜1部へ移り、1985年4月5日終了。
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[編集] 概要
- 2部オープニング・1部エンディングは『炎のファイター』(レコード『ザ・レスラー』収録)
- 番組の構成を主に務めていたのは、現在『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)の構成などでも知られる鶴間政行(山口とは共に欽ちゃんファミリーつながり、『マー坊』と呼ばれていた)。他に村松利史(ヘンリー)、君塚良一、大倉利晴(トッちゃん)などが居た。
[編集] コーナー
[編集] 電話で遊ぼうピッポッパ
- リスナーに電話をかけ問題に答えてもらうクイズコーナー。ゲストにも出題したり、全国大会が開催されたりした。出場出来なかったリスナーのために『ピッポッパの宿題』という、はがきで答えを送るコーナーも設けられた。
- 番組開始~番組終了
[編集] LET'Sトライアル みんなでやればなお楽し
- みんなでやれる楽しい企画を色々募集していた。この中で、自分の好みの楽器を持参してみんなでコンサートを開こうという企画が立ち上がり、これが1983年4月10日、13時から16時まで西武百貨店池袋店屋上にて『LET'Sおもしろトライアル ジャムセッション1001』というイベントになって開催された。集まった1058人のリスナーが鍋、フライパン、電卓など音が鳴るものを何でも鳴らしながら『めだかの兄妹』を演奏した。指揮を務めたのは斉藤清六、音楽監督は坂本龍一。
[編集] プロレスアワー → 闘魂スペシャル
2部オープニング、1部エンディングにアントニオ猪木の入場曲『炎のファイター』を使うなど、プロレスファンである山口の特性を生かしたコーナー。1983年3月4日に実際に猪木がゲスト出演したことで、猪木をゲストに呼びたいという山口の希望が叶い、これがきっかけとなってコーナータイトルが変更となる。因みに猪木は単独でも1984年に『アントニオ猪木 闘魂・ザ・ワールド』(土曜21:30 - 22:00)という番組を同じニッポン放送で持っていた。
[編集] サントラ劇場
リスナーが電話で出演し、設定だけを決めて即興劇を演じるコーナー。『キュンキュン』というフレーズが話題になる。
[編集] 人気投票
組織票も有りだった、はがきによる票数でのランキングコーナー。本来の目的は山口他出演者の人気投票だったが、いつの間にか『うる星やつら』のラムや諸星あたるが1位になったり、地名そのものや、学校の先生などリスナーの内輪の人物までもがランクインされることに。
[編集] コーナーその他
- 怒りの部屋
- ドジメンタリー
- 知られざる給食の世界
- 知られざる粗品の世界
- 懐かしの作文コーナー
- 懐かしの古新聞コーナー
- みんなで叫べばなお楽し
- みんなで笑えばなお楽し
- みんなで探せばなお楽し
- 深夜の故郷案内
- 深夜の学校案内
- 思い出のラブレター
- 絶対おもしろいぞ新聞
- トッちゃんのダイエットコーナー
- なにおた(何気ないおたより)
- あの曲をもう一度
- 良ちゃんメモリー
[編集] その他
- 火曜2部時代の1982年8月、リスナーから子供の頃の作文を募集したところ、山口百恵の小学校時代のクラスメイトだったという人から百恵が書いた作文が送られ、それを紹介したことがあった。
- 『一度、スタジオを出て包装してみたい』と言って、ニッポン放送の玄関前から放送したことがあった。
- 長女(現在は歌手として活動する山口さくら)の産声をそのまま放送したことがあった。
- くりぃむしちゅーの有田哲平がこの番組のリスナーだったとのこと。ただ有田はプロレスファンなだけに、プロレスコーナー目当てで聴いていたという話もある。
[編集] ノベルティグッズ
- 君特等
- 君一等
- 君二等
- 君三等
[編集] 外部リンク
オールナイトニッポン 火曜2部 | ||
前担当: 阿呆鳥 |
山口良一のオールナイトニッポン 火曜 27:00 - 29:00 山口良一 |
次担当: エド山口 |
オールナイトニッポン 金曜1部 | ||
前担当: ラジオっ娘 |
山口良一のオールナイトニッポン 金曜 25:00 - 27:00 山口良一 |
次担当: サンプラザ中野 |