岐阜県立斐太高等学校
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斐太高等学校 | |
設置者 | 岐阜県 |
学区 | 飛騨学区 |
創立 | 1886年(明治19年) |
校訓 | 切磋琢磨、確乎不抜 |
校章 | 蜻蛉章(せいれいしょう) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒506-0807 高山市三福寺町736 |
電話番号 | 0577-32-0075 |
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岐阜県立斐太高等学校(ぎふけんりつひだこうとうがっこう)は岐阜県高山市にある公立高校。県内でも指折りの歴史がある伝統校である。
通称は斐高(ひこう)。飛騨学区のトップ校であり、伝統・進学の面から学区内の他の高校を圧倒する。そのため飛騨一円から優秀な生徒が集まるが学区が広大な地域にわたり自宅通学が困難なため、やむを得ず下宿する生徒もいる。フジテレビのTVドラマ「白線流し」のモデルになった学校であり、卒業式当日に学校前にある大八賀川において白線流しが伝統行事として行われている。実際に学校付近の橋でロケも行われた。
目次 |
[編集] 学校概要
- 創立 1886年5月17日(創立記念日は6月1日)
- 学科 全日制普通科(2005年(平成17年)3月末まで通信制普通科があったが飛騨高山高校に移管)
- 所在地 高山市三福寺町736
- 校訓
- 切磋琢磨
- 確乎不抜
- 校章
- 制服
- 伝統的に男子は詰襟の学ラン、女子はセーラー服である。
- 校歌
- その他
- 飛騨の学校らしく周囲は自然豊かで、裏山にカモシカが現れたり校庭にフクロウが佇んだりと、普通の学校では見られないものが来訪することもある。
[編集] 沿革
- 1886年 高山中学創立、斐太学校と改称
- 1888年 岐阜県斐太尋常中学と改称
- 1899年 岐阜県斐太中学校と改称、校章制定
- 1908年 校歌制定
- 1948年 通信教育部が併設される、新制高校に昇格し岐阜県立斐太高等学校と改称
- 1986年 創立100周年
- 2003年 飛騨地区初のセンター試験会場に指定される
[編集] 学校行事
- 遠足・修学旅行
- 1年生と3年生は遠足が、2年生時には修学旅行が行われる。修学旅行は九州へ行くことが多い。
- 蜻蛉祭
- 斐高の文化祭は蜻蛉祭(あきつさい)と呼ばれ6月に行われる。各クラスによるステージ・展示発表のほか、文化系部活動による発表も行われる。
- 体育祭
- 体育祭は9月に行われる。赤団・青団・黄団に分かれて競技が行われる(珍しいことに白団がない)。
- 蜻蛉の森(あきつのもり)
- 3月に行われる文化系部活動の発表・展示。高山市民文化会館にて一般公開される。
- 白線流し
- いわずと知れた斐太高校における別離の行事。斐高の地元である高山市及び飛騨地方には高等教育機関がほとんどないので、進学校である斐高の生徒はほとんどが地元を離れて進学するため、旅立つ前に友情を誓うという意味合いも持つ(斐高の校章や文化祭の名前ともなっている「蜻蛉」はトンボを意味し、校章のそれには蜻蛉島〔あきつしま、大和の国の枕詞〕に雄飛せんとの意味がこめられている)。川を挟んで校舎側に在校生が、対岸に卒業生が校舎に向かって立ち行事が行われる。男子の学帽の白線と女子のセーラー服のネクタイを結んで「白線」をなし、学校の前を流れる大八賀川で歌を歌いながら川面に「流す」。その始まりは定かではないが一説には昭和10年代には行われていたとされ、以来現在に至るまで半世紀以上にわたって行われている。ちなみにそのときに歌われる歌は在校生による「送別歌」と卒業生による「巴城ヶ丘別離の歌」である(校歌は別に存在する)。
- 詳しくは斐太高校のホームページ・白線流しの項参照。
[編集] 部活動
部活動は飛騨学区屈指の伝統校だけあって、弓道部や陸上競技部・バスケットボール部・科学部・吹奏楽部・写真部・軽音楽部などを中心に文武をとわず活躍する部活動が多い。特に弓道部はインターハイや選抜大会への出場経験もあり、岐阜県でも指折りの実力をほこっている。
- 運動系部活動
- 陸上競技部
- サッカー部
- ハンドボール部
- ソフトテニス部
- 登山部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 柔道部
- 剣道部
- 弓道部
- 空手道部
- 硬式野球部
- 文化系部活動
- 科学部
- 天文部
- 美術部
- 茶道部
- 華道部
- 文芸部
- インターアクト部
- 吹奏楽部
- 演劇部
- 放送部
- 書道部
- 写真部
- 軽音楽部
[編集] 進路状況
地元の飛騨地区にはほとんど高等教育機関がないにもかかわらず、ほぼ全員が進学希望である。飛騨学区のトップ校ではあるが、美濃学区の関高校と同じく学区内の普通科高校が少ないため、ライバル校と呼べるものはなく進学先も多岐にわたる。とはいえ最近では四年制大学への進学者が8割以上を占め、あまりほかの学校と変わりのない状況にはある。45分×7時限の時間割を組み授業時間を確保するなどが学力向上への努力も見られる。就職希望者はほとんどおらず、毎年一桁程度である。毎年国公立大学に130人前後、私立大学に400人程度の合格者を出す。進学先としては東海地方の大学のほか、地理的に近い北陸地方の大学も多い。
- 2006年入試(卒業生約280名) 国公立大学合格者数 158名 私立大学合格者数 487名
[編集] 交通機関
[編集] 出身者
- 牧野英一 - 刑法学者(旧制斐太中学卒業)
- 村尾信尚 - 関西学院大学教授(元:大蔵省主計官)
- 瀬川信久 - 北海道大学教授(大学院法学研究科)
- 中島仲英 - お笑い芸人、流れ星
- 瀧上伸一郎 - お笑い芸人、流れ星
- 都竹悦子 - ディスクジョッキー
- 米澤穂信 - 推理作家