岡山県第5区
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行政区域 | 岡山県笠岡市、井原市、 総社市、高梁市、新見市、 真庭市(旧北房町域)、 倉敷市(旧船穂町・真備町域)、 浅口市、浅口郡、小田郡、 加賀郡(吉備中央町の旧賀陽町域) |
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比例区 | 中国ブロック |
設置年 | 平成6年(1994年) |
選出議員 | 村田吉隆(自由民主党) |
有権者数 | 291,900人(2005年9月2日現在) |
岡山県第5区(おかやまけんだい5く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区である。 現在の区域は1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置されたものである。
目次 |
[編集] 特徴・実情
中選挙区時の旧岡山県第2区のうち笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、都窪郡山手村・清音村、浅口郡、小田郡、後月郡、吉備郡、上房郡、川上郡、阿哲郡が選挙区域となった。その後、市町村合併があったため現在の選挙区域は笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、真庭市(旧北房町域)、倉敷市(旧船穂町・真備町域)、浅口市、浅口郡、小田郡、加賀郡加賀中央町(旧賀陽町域)となっている。
小選挙区比例代表導入時に旧2区選出の自由民主党所属議員には、加藤六月、橋本龍太郎、村田吉隆がいたが、加藤は離党し新進党に移ったため、橋本は地盤が重なる(橋本は総社市、村田は井笠地区が地盤)5区を村田に譲り、自身は加藤と対峙する4区から出馬した。
[編集] 現在
加藤六月の娘婿に当たる加藤勝信が地元、岡山5区からの出馬を強く希望しており、六月氏の引退直後に行われた2000年の総選挙では民主党の公認候補として5区から出馬を試みていたものの、直前で自民党の比例代表に鞍替えしている。 また2005年の総選挙では岡山5区からの出馬を自民党に熱望した。しかし同選挙区からは当時、国家公安委員長村田吉隆が既に立候補を表明していたため党本部は比例から出馬するよう説得した。 しかし本人はこの説得を固辞し、無所属による岡山5区からの立候補を表明。自民への票が二分になるのを恐れた党本部は急遽、仲裁に乗り出しコスタリカ方式による出馬で決着させた。 現在のところ、次期総選挙には勝信が岡山5区より立候補するため村田は比例に回る。
[編集] 選出議員
比例代表当選者を含む。
- 村田吉隆(自由民主党)1996年 -
[編集] 選挙結果
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 114,981 | 村田吉隆 | 自由民主党 | 前 |
64,569 | 花咲宏基 | 民主党 | 新 | |
10,517 | 堀良道 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 104,653 | 村田吉隆 | 自由民主党 | 前 |
69,908 | 秦知子 | 民主党 | 新 | |
8,482 | 木阪清 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 116,206 | 村田吉隆 | 自由民主党 | 前 |
57,368 | 秦知子 | 民主党 | 新 | |
12,745 | 国末吉夫 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 125,188 | 村田吉隆 | 自由民主党 | 前 |
42,555 | 木口京子 | 民主党 | 新 | |
12,344 | 斉藤玲子 | 日本共産党 | 新 | |
7,296 | 福田哲也 | 新社会党 | 新 |
[編集] 大日本帝国憲法下
1889年(明治22年)に衆議院議員選挙法が成立した際には小選挙区制であり、上房郡、川上郡、哲多郡、阿賀郡が岡山県第5区であった。(定数は1、1900年まで)
1919年から1925年の間にも岡山県第5区があり浅口郡、小田郡、後月郡が選挙区域、定数は2人であった。