岡村オファーがきましたシリーズ
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岡村オファーがきましたシリーズはめちゃ×2イケてるッ!の企画。
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[編集] 概要
各業界から岡村隆史にきたオファーをドキュメンタリータッチで放送。岡村がジャージを着ていることから、オファージャージと呼ばれる。今までに数々のミラクルを起こす。めちゃイケメンバーの応援で加藤が忘れ去られキレまくるシーンが恒例。
[編集] ジャニーズJr.としてSMAPのコンサートに出演
(1997年10月4日放送)
自分は身長が低いだけで顔は悪くないと言い張る岡村に、顔だけで勝負できる場所としてジャニーズJr入りが提案され、近藤真彦からの推薦状をもらい、ジャニーズJr.に乗り込んだ。
めでたくジャニーズJr.入りを果たした岡村は翌日に行われる大阪ドームのライブに出ると、無許可のままジャニーズについていってしまった。そこでなんとライブはSMAPのライブだと判明したのだが、ひるむことなくSMAPに許可を取り、練習する。さらにJrとしてではなくプロのダンサーとして中居のソロに出ると言い出し、徹夜の練習をするのだが、曲の途中にある「坂田師匠歩き」がどうしても我慢できなかった。しかし「俺より目立つな!」という中居の激を受けつつ、何とか出演することに成功。第一ブロックは何とか成功。第二ブロックのフリーダンスでは、変なおじさん→ヒゲダンス→スリラー→ロボットダンス→ブレイクダンスとフリーダンスを満喫し、木村と並ぶ活躍を見せた。そして中居のソロ。出だしは好調、しかしやはり「坂田師匠歩き」は我慢できずにやってしまい、中居の服を受け取り綺麗にたたんで置き、さらに中居の前に出ようとした。しかし暴走行為はあったもののダンスは完璧で大成功!と思ったそのとき、中居が乗るはずであった台の上に乗ってしまったのだ。この暴走に中居は激怒、ステージ上で岡村の変装をばらしてしまう。このことに激怒した矢部は戻ってきた岡村をビンタするが、中居以外のSMAPメンバーは「隆史最高!」と言い、全く反省の色が見えなく大満足していた。
ちなみにこの企画は他のオファーシリーズとは違い、誰からのオファーも受けることなくスタートしている。ビデオ・DVD化を望む声があるが権利関係が複雑な為出来ないとのこと。
[編集] 月9ドラマ「ブラザーズ」にゲスト出演
(1998年5月2日放送)
お寺が舞台のドラマで、僧侶役と勘違いした岡村は頭を丸めて登場したが、実際は警官役だった。リハーサルでアドリブを飛ばし主演・中居正広を怒らせる。
[編集] 結婚披露宴司会
(1998年6月20日、6月27日、2週にわたって放送)
北海道の一般視聴者から結婚披露宴での司会を依頼され、安いギャラ(22,222円)で奮闘。 極普通の家庭で育ち、極普通の生活、極普通の2人でこのまま結婚してしまったら何の感動もない結婚式になるのでは…と岡村に依頼。しかし無趣味・プロポーズの言葉もなし、等何の話題性もなく司会の進行に使用する生い立ちなどの作成に四苦八苦、岡村は無理矢理2人をタイタニックの主人公 (1等客室と3等客室)の立場のように話を作る。結局一睡もせず朝ギリギリまで台本を作成(実際は予定より遅れ、熟睡していた矢部を寝起きドッキリでもなく普通に起こした)、式に挑む。司会するにあたって徳光和夫より色々とアドバイスを聞いており、途中「ユーモアを取り入れても よい」との事で、司会者参考書の表紙イラストを真似て頬と鼻を赤くしたメイク、「ケーキ入刀(乳頭)」のギャグを入れる(2005年放送の有野晋哉披露宴司会でも使用した)。結局披露宴は感動の内に終わり、場内からは「よくやった!」等大絶賛を浴びた。その時岡村は「少し休ませて下さい(一睡もしていない)」と、式を締め括った。
この夫婦は後に2006年11月18日放送めちゃイケ10周年再会企画「司会は、オカムラ、時々、ヤベ」 に出演。
[編集] 新春かくし芸大会で中国ゴマに挑戦
(1998年12月26日放送)
早稲田大学入学でスタッフが辞退した広末涼子の代打として、ネプチューン・安達祐実らと猛練習を積んだ。
[編集] ムツゴロウ王国で競馬対決
(1999年10月9日放送)
畑正憲とムツゴロウ王国の国王を賭けた競馬対決。全く乗馬経験のない岡村がわずか3日でマスターして対決。岡村は、性格は荒いがめっぽう速い馬「マロン」で勝負する事に。レース当日岡村は「人馬一体」のビートたけしの着ぐるみで登場、それで勝負しようとしメンバーを失望させる。岡村オファーシリーズは「万が一の為毎回代役を用意している」と言う矢部は昭和のいる・こいる氏を呼んでいた。当の本人は何の為に呼ばれたか分かっていなかった(と言う設定)。結局レースは行われたが、本来1年乗馬を経験しても競馬に出る事は無謀と言われており、誰もが今回だけは無理と思っていたが、スタッフさえ予想しなかったミラクルを起こす。しかし、本来騎乗する予定だったマロンではなく、性格・速さもまずまずの馬「月子」を騎乗し1位になった。「マロン」は岡村に乗馬指導していた人がレースで騎乗しており、結局国王交代はお流れに。
喘息が原因でムツゴロウ王国に入国出来なかった加藤は、競馬対決前夜の壮行パーティーの食材探しで1人キノコ取りに行かされるが、パーティー時忘れられていて山本とケンカになる。ムツゴロウ氏が動物を宥めるかのように加藤を宥めた。
[編集] フルマラソン完走
(1999年12月31日~2000年1月1日放送、メイキングは2000年2月放送)
LOVE LOVE2000・めちゃ×2あいしてるッ!内生放送中にフルマラソン完走。
5kmのファンランに参加するオファーを受けたはずが、行き違いで42.195kmのフルマラソンを完走した。その間に一度日本武道館に向けて走り、日本武道館到着後気づいてお台場に戻った。
[編集] 劇団四季ライオンキング出演
(2000年10月14日放送)
第一弾と並ぶ名作。ミュージカルを毛嫌いしていた岡村は実際に見ると出演拒否からぜひ出演させてほしいに変わり、主役のシンバを熱望したが即却下され、浅利慶太氏に言われた、草・ガゼル・ハイエナ・シンガーの4役全部をやることになった。
ハクナ・マタタ精神でプライドロック征服宣言を放ち稽古を始めたはいいがレベルが違いすぎて、一番簡単な草とガゼルですら出演が危ぶまれていた。ハイエナにいたっては左右3回転ターンがあるライオンキングの中でも最難関のハイエナダンスを習得しなければならなかった。さらにシンガーでは歌詞の中の「王となる」という部分は黙っててという注文が出されていた。しかし彼の努力で全ての役の合格をもらい見事劇団四季の舞台を踏んだ。
初めの役のガゼルでは緊張しすぎて放心状態になったが、ハイエナダンスで練習でも1度も決まらなかった左右3回転ターンを成功させ、調子に乗ってガッツポーズまでやってしまった。しかしそこから事件は起こった。次の役の草で、草の感情を表現するという個性を出してしまい暴走を始めていた。そして最後の役シンガーでは禁じられていた「王となる」をおもいっきり歌ってしまい、最後にはカメラ目線まで出してしまった。だが、多少の過剰演技はあったもののハイエナダンスの成功を含め、公演は大成功・・・と思いきや出演を禁じられていたカーテンコールにハイエナとして出てしまったのだ。定番の「最高!」というセリフを叫び、ブレイクダンスを踊り、なんとハイエナの分際でプライドロックに登り雄たけびを上げてしまい、さらにハイエナでありながらライオンの赤ちゃん(チュンバ)を産み落とすという奇跡を起こした。このことに激怒した矢部とは対象的に浅利氏は岡村隆史の才能を評価し、引き抜きをしようとしていた。
[編集] モーニング娘。と修学旅行
(2001年10月13日放送)
「私立岡村女子高等学校。」の教師として修学旅行を引率した後、モー娘のコンサートにメンバーの一人として出演。完璧なダンスをこなす姿は「モーニングおっさん。」と呼ばれた。
詳細は「岡女。」の項を参照のこと。
[編集] 具志堅用高とボクシング対決
(2004年7月25日放送、27時間テレビ。オファーのいきさつなどは2004年10月8日放送)
27時間テレビの1年以上前にオファーを受け、放送がいつ実現するか分からないままトレーニングを積んだ。27時間テレビでの実戦が決定し、適当な対戦相手を探すように命じられた中嶋優一AP(当時)の暴走で具志堅との対戦が決まる。27時間テレビのクライマックスで具志堅と4ラウンドを闘った。
[編集] 横峯さくらとゴルフ対決
(2005年10月8日放送、未公開集は11月5日放送)
横峯の父・良郎からオファーを受け、ゴルフを毛嫌いしていた岡村が1週間で5000スイングを超える特訓を積んだ。横峯とのマッチプレーに敗れたが、ホールインワン対決ではピンそば20cmにつけて勝利。なおプロとアマの対戦だがハンディなしで戦った。
勝負の決着がついた直後のクライマックスの時、ナレーションの木村匡也が「お笑い界のタイガー・ウッズ」と言うべきところを「お笑い界のタイガーマスク」と言ってしまい、そのまま放送される失態があった。
鼻虫王者 ムシ寝起きキング・近くへ行きたいの元になった。
テーマソングは、SHOGUN「男達のメロディ」。