岡村靖幸
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岡村 靖幸 (おかむら やすゆき、1965年8月14日 -)は、日本のロックミュージシャンである。兵庫県神戸市生まれ。愛称「岡村ちゃん」。
歌中で「シンガーソングライターダンサー」と自称するほどの独特のダンスで、ライブ・パフォーマーとしての評価も高い。そのスタンスから和製プリンスとも呼ばれる。
ギターはOvationの「Super Adamas(黒)」を愛用。ギターに限らず、さまざまな楽器を操る。
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[編集] バイオグラフィ
- 1965年 8月14日兵庫県神戸市で生まれる。身長183cm(「聖書」の歌詞”背が179cm”という部分から本人の身長のことと思われていたが、雑誌Gbのインタビューで、「あれは語感がよかったから、本当は183cm。」と話している。)血液型B型。父親の仕事の都合で大阪、ロンドン、福岡県太宰府、新潟、東京で過ごす。
- 高校(新潟県立新潟東高等学校)在学中から音楽活動を始めていた。将来何になるかで迷い可能性の無いものからチャレンジしようと、レコード会社にデモテープを持参し、19歳で作曲家としてデビューすることになった。渡辺美里、吉川晃司、鈴木雅之らに楽曲を提供。
- 渡辺美里のレコーディングでのコーラス参加中、空き時間にダンスを踊っていたところをプロデューサーに「輝いてる」と言われ、シンガーとしてのデビューにつながる。
- 1986年 12月シングル『OUT OF BLUE』にてデビュー。日本武道館で行われた「TBS開局35周年記念・アニバーサリーロックフェスティバル」のイベントがデビューライブとなり、白井貴子、TM NETWORK、渡辺美里と共演した。その後コンスタントに5枚のアルバムを発売する。その中でも「家庭教師」の完成度は高く、今でも岡村の最高傑作と評される事が多い。
- 1990年 映画「Peach-どんなことをしてほしいのぼくに」に主演。ここでは金山一彦と共演(この時代はチェッカーズの「TAN TAN たぬき」や吉川晃司の「すかんぴんウォーク」のように歌手が主演する映画が多く作られていた)。
- 1992年 この年尾崎豊が亡くなっている。吉川晃司に曲を提供した時に親しくなり、吉川の親友だった尾崎と3人でよく遊んでいたといわれている。3人でじゃんけんをし勝った人が好きな遊びをするという具合でお酒の飲めない岡村が勝つとディスコに行っていたようである。尾崎とは広島ピースコンサートで岡村の「Young Oh! Oh!」を2人で熱唱している。
- しかし、90年代に入って徐々に寡作傾向になり、シングルは単発的にリリースされるものの、アルバムがなかなか発売されず、ファンをやきもきさせはじめる。当時のコメントは「曲は書けるが、詩が書けない」。ちょうど援助交際がメディアで騒がれはじめた頃で、恋愛に対して純粋すぎる余り、何を信じて歌っていいか解らなくなっていったようだ。また、肥満疑惑が騒がれ出したのもこの頃だった(後にそれは事実だと解る)。
- この後、何度となく復帰・休養を繰り返すが、復帰の度にファンから持ち上がる話題は一にも二にもなくその体型の話。日経エンターテイメントに岡村の関係者談として「彼の体型に変化はありません。要はそれを、太っているのか、そうでないと受け止めるかは皆さん次第です」という何とも歯切れの悪いコメントが載っていた。
- 1996年 コンサートツアー「ハレンチ」以後、表舞台から遠ざかるようになる。川本真琴のデビュー曲『愛の才能』を作曲・編曲、プロデュースし、コーラスも担当。この後、自身の活動よりもプロデューサーとしての活動が目立つようになる。西田彩栞や黒田倫弘、megのデビュー曲を手がける。この他にもCHARA「レモンキャンディ」(2001年)やSOPHIA「HARD WORKER」(2002年)、ajapai feat.Yasuyuki Okamura「DAI-SHA-RING」(2002年)で楽曲提供した。
- 2002年 ファンによる「岡村ナイト」と呼ばれるイベントもあり、表舞台から遠ざかっている岡村に待望論が吹く。また、 朝日美穂、直枝政太郎が主体となって岡村に影響を受けた若いアーティストらで作られたトリビュートアルバム「どんなものでも君にかないやしない」が発表された。石野卓球とのコラボレーション「come baby」を発表し、翌年にはアルバム、岡村と卓球『THE ALBUM』を発表。
- 2003年 2月 エピックソニー25周年記念コンサート「LIVE EPIC 25」に出演が決定したが、チケット発売後に「レコーディングの都合」で出演をキャンセル。(実際は岡村の覚せい剤取締り法違反が発覚したことにより、スタッフ間で協議した結果、出演が中止された)
- 2003年 夏に野外ライブ「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003」でライブ活動を再開。秋には全国ツアー「フレッシュボーイTOUR」を敢行。
- 2004年夏、シングル発表。昨年同様夏の野外ライブ数ヶ所に出演。秋には約9年ぶりのオリジナルアルバム「Me-imi」を発表。全国ツアー「Me-imi TOUR」敢行、仙台と広島などを追加した。対談本「純愛カウンセリング」を出版し、CSの音楽番組にも出演。
- TBSの「筑紫哲也 NEWS23」では10年ぶりに生放送でパフォーマンスを披露した。
- 2005年4月、渋谷区の店内のトイレで覚せい剤を使用。数日後、職務質問で薬物検査を受ける。後日、所属事務所に契約終了を申し出て了承される。
- 2005年5月、所属事務所との契約終了によってファンクラブ「DATE」閉会、オフィシャルサイト閉鎖。同月20日、覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕、起訴される。
- 2005年10月21日、東京地裁で懲役1年6ヶ月(求刑懲役2年)の判決を言い渡された。執行猶予期間中の再犯だった。同日、ファンサイトに本人からの謝罪メッセージが掲載される。
- 2006年末~2007年初頭(時期不明)に出所。
- 2007年3月18日、小林武史が主催するap bankのイベント「AP BANG! 東京環境会議 vol.1」にて復帰。久々に公の場に姿を見せた岡村は、「カルアミルク」「ア・チ・チ・チ」「聖書(バイブル)」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の4曲を披露。かつての高音ボイスでファンを歓喜させた。 [1]
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- OUT OF BLUE(1986年12月1日)
- Check Out Love(1987年3月5日)
- Young Oh! Oh!(1987年5月21日)
- Dog Days(1987年7月21日)
- イケナイコトカイ(1988年2月1日)
- Super Girl (1988年4月21日)-「シティーハンター 2」EDテーマ
- 聖書<バイブル>(1988年9月21日)
- だいすき(1988年11月2日)- Honda「NEW today」CF曲
- ラブ タンバリン(1989年4月21日)
- 友人のふり(1989年12月21日)
- Peach Time(1990年2月21日)
- どぉなっちゃってんだよ(1990年7月21日)
- あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう(1990年10月10日)
- カルア ミルク(1990年12月1日)
- ターザンボーイ(1991年7月25日)
- パラシュート★ガール(1992年10月21日)
- チャーム ポイント(1995年10月21日)- NHK-FM『ミュージック スクエア』オープニングテーマ
- Peach X'mas(1995年12月23日)
- ハレンチ(1996年12月1日)
- セックス(1999年11月20日)
- 真夜中のサイクリング
- モン・シロ(2004年5月19日)
- ミラクルジャンプ(2004年7月28日)
[編集] オリジナルアルバム
- yellow(1987年3月21日)
- DATE(1988年3月21日)
- 靖幸(1989年7月14日)
- 家庭教師(1990年11月16日)
- 禁じられた生きがい(1995年12月13日)
- Me-imi(2004年9月1日)
[編集] ベストアルバム
- 早熟(1990年3月21日)
- OH! ベスト(2001年3月28日)
[編集] セルフリミックスアルバム
- ビジネス(2005年3月30日)
[編集] その他アルバム
- comebaby/岡村靖幸と石野卓球
- THE ALBUM/岡村と卓球
- 日本人アーティストのニューウェイヴ・トリビュート・アルバム「Fine Time~A Tribute to NEW WAVE」にトーキング・ヘッズの「Burning Down The House」で参加。
- 尾崎豊トリビュートアルバム「BLUE~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」に「太陽の破片」で参加。
- 電気グルーヴのアルバム「オレンジ」にヴォーカルとして参加(「VIVA!アジア丸出し」)
- CORNELIUS「96/69」に参加
- 大車輪/Ajapai
[編集] BOX
- 岡村ちゃん大百科(2005年3月16日)
[編集] VIDEO/DVD
- Date In Short Pictures
- Date Love & Sex 88
- It's A Peachful World
- Peachどんなことをしてほしいのぼくに
- PeachTime
- Peach Show 89
- Live家庭教師'91
- ファンシーゲリラ Video Shop 92
- Symposium
- Me-imi Tour 2004
[編集] 提供曲
- GROWIN' UP(1985年 作曲、コーラス)
- すべて君のため(1985年 作曲)
- Lazy Crazy Blueberry Pie(1985年 作曲、編曲、コーラス)
- Bye Bye Yesterday(1985年 作曲)
- Long Night(1986年 作曲)
- 素敵になりたい(1986年 作曲、コーラス)
- 19才の秘かな欲望(1986年 作曲)
- Resistance(1986年 作曲)
- 悲しき願い(Here&There) (1986年 作曲)
- みつめていたい (Restin'InYourRoom) (1986年 作曲)
- A Happy Ending(1986年 作曲)
- Lovin' You(1986年 作曲)
- Half Moon(1986年 作曲、編曲、コーラス)
- シャララ(1988年 作曲)
- 19才の秘かな欲望 (The Lover Soul Version) (1988年 作曲)
- 跳べ模型ヒコーキ(1989年 作曲)
- 冷たいミルク(1989年 作曲)
- 虹をみたかい(1989年 作曲)
- 虹をみたかい(Honey-bee Version) (1990年 作曲、編曲、コーラス)
- 虹をみたかい(tokyo mix) (1990年 作曲、編曲、コーラス)
- はだかの気持(1991年 作曲、編曲、コーラス)
- 泣いちゃいそうだよ(1992年 作曲)
- ジャングルチャイルド(1993年 作曲、コーラス)
- BIG WAVEやってきた(1993年 作曲)
- 若きモンスターの逆襲(1993年 作曲、コーラス)
- さえない20代(1993年 作曲)
- 奪われたウィンク(1986年 作曲)
- 別の夜へ~Let's go~(1986年 作曲)
- 愛の才能(1996年 作曲、編曲、コーラス)
- FRAGILE(2000年 作曲 磯野栄太郎と明記)
- どうなっちゃってるの どうだっていいんじゃない(1998年 作曲、編曲)
- スリルバカンス(2000年 作曲)
- レモンキャンディ(2000年 作曲)
- スキャンティブルース(2002年 作曲)
- HARD WORKER(2002年 編曲、プロデュース)
- SING LIKE A HUG(2003年 作曲、編曲)
- SMELL(2004年 作曲、編曲)
- 秘密のフランボワーズ(2004年 作曲)
- 遥かへのスピードランナー(2004年 作曲)
- ストロベリーチップス(2005年 リミックス)
[編集] 書籍
- 『純愛カウンセリング』(ぴあ 2004年11月) ISBN 4835609735
- 「愛と性 純愛カウンセリング」(岸田秀との対談) 岸田秀/著 『日本人はどこへゆく 岸田秀対談集』(青土社 2005年8月 ISBN 4791762037)所収
[編集] その他
- Mr.Childrenの桜井和寿がある雑誌で、デビュー前の知人に岡村靖幸に携わる仕事をしている人が多く、当時の新譜であった「家庭教師」を聴いて打ちのめされ、それ以降岡村靖幸Part2になるべく闘っている、と語っている。ブレイク後、桜井はBank Bandにて同アルバム収録の「カルアミルク」をカバーした。
- 森田一義アワー 笑っていいとも!に出演した際にタモリから「コロッケに似ている」と言われたことがある。また、6歳ぐらいの時、ロンドンで暮らしており「マキシーン」と言う名の女の子にとても好かれ、引越しのときキスを迫られたと言っていた。
- 及川光博は岡村靖幸の影響を多大に受けており、レコード店で互いのCDが同じジャンルに置いてある事に大喜びしたそう。「聖書(バイブル)」のカバーもしている。
[編集] 出典
[編集] 関連項目
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