岸田秀
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岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授である。著書は『ものぐさ精神分析』など多数あり、週刊誌等に対談・エッセイなどで登場することも多い。
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[編集] 年譜
香川県善通寺市に生まれ、香川県立丸亀高等学校を経て早稲田大学文学部心理学科を卒業する。同大学大学院修了後、ストラスブール大学大学院留学、その際、同大学院を「卒業」したと思っていたが、後で博士号を取っていることを確認できなかったという。また学術論文を書いていないため、文部省から精神分析に関して大学で講義をおこなう資格の認定を取り消されることになった。1972年から2004年まで和光大学教授を務めた。1978年『ものぐさ精神分析』を出版、そのなかで「唯幻論」を提唱し話題となる。学者・研究者としてどの学会にも属していない。
[編集] 思想
岸田は、「人間は本能の壊れた動物である。」という定義から始まり自我、家族、国家に及ぶ独自の思想、「唯幻論」を『ものぐさ精神分析』(およびその原点となった雑誌掲載の論文「日本近代を精神分析する-精神分裂病としての日本近代」など)で提唱する。常識として疑われることなく通用している意味、観念を幻想といいきり、徹底的な相対化をおこなう、いわば「価値の紊乱(びんらん)」にこそ、この思想の独創性が見出せる。語り口の痛快さによって多くの読者を得て、80年代前半の思想界の注目を集めた。
『ものぐさ精神分析』を出版した際、「自分が言いたいことは一つしかない、著作はこの一冊でお終いだ」と宣言し、実際『ものぐさ精神分析』における唯幻論の思想はその後も変わらず一貫性を保っている。ただし、著作は多くの読者を集めたことからその後も多数出版している。
[編集] 批判
唯幻論は、もともと吉本隆明の『共同幻想論』から共同幻想という言葉だけ借りて、岸田が独自に発展をさせたものであった。『共同幻想論』における個人幻想・対幻想・共同幻想の三点構造のなかで、対幻想は最も微妙であると共に理解が難しいが、それ故に吉本の思想の根本であるといえる概念である。その対幻想を省き、個人幻想と共同幻想は発生の経緯は異なるが、おのずと逆転するものであるとする岸田の主張は、難解で知られた『共同幻想論』に較べ、あまりに単純かつ明快なものだった。吉本と岸田が対談した際、吉本は岸田の思想に肝心要の対幻想が抜け落ちていることを皮肉たっぷりに、見下すように指摘した。しかし、岸田はそのこと自体はいっこう意に介さないようであり、おそらくは自身の言葉通り吉本の真意を理解していなかった(できなかった/する必要を感じなかった)のであろう。
その他にも、岸田はきちんと教育分析を受けていないにも関わらず、我流で精神分析について語り過ぎだ、という批判もある。
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『ものぐさ精神分析』 (青土社、1978年)
- 『二番煎じ ものぐさ精神分析』 (青土社、1979年)
- 『出がらし ものぐさ精神分析』 (青土社、1980年)
- 『不惑の雑考』 (文藝春秋、1986年)
- 『ふき寄せ雑文集』 (文藝春秋、1989年)
- 『フロイドを読む』 (青土社、1991年)
- 『ものぐさ箸やすめ』 (文藝春秋、1993年)
- 『二十世紀を精神分析する』 (文藝春秋、1996年)
- 『官僚病の起源』 (新書館、1997年)
- 『性的唯幻論序説(文春新書)』 (文藝春秋、1999年)
- 『日本がアメリカを赦す日』 (毎日新聞社、2001年)
- A Place for Apology: War, Guilt, and US-Japan Relations (trans by Yukiko Tanaka). Hamilton Books, 2004. (ISBN 0761828494)
- 『古希の雑考』 (文藝春秋、2004年)
- 『唯幻論物語(文春新書)』 (文藝春秋、2005年)
- 『岸田秀コレクション』 (青土社)
[編集] 共著
- (伊丹十三)『哺育器の中の大人 精神分析講義』(1978年)
[編集] 訳書
- G・ラットレー・テイラー『歴史におけるエロス』
- モートン・シャッツマン『魂の殺害者 教育における愛という名の迫害』
ほかにも著作多数