岡林信康
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岡林信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日 - )は、滋賀県近江八幡市生まれのフォーク歌手。実家は教会(ちなみに、教会とはあの著名な建築家にして、メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。
[編集] 来歴・人物
近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。在学中より高石ともやの影響でギターを始める。自らのキリスト教への信仰に疑問を感じた事が、フォークに目覚めたきっかけだったとも言われている。
1960年代の後半から1970年代の初頭にかけ、「友よ」「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」「それで自由になったのかい」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表、放送禁止となる曲もあった。以降、作風を変えつつ音楽活動を継続。「フォークの神様」とも言われている。
本人は気さくな性格で、コンサートで「友よ」の歌い出しを「ホモよー♪」と自ら歌うほどである。また自分の所在を関係者以外には一切知らせず、仕事のオファーに苦労させられる事で有名(簡単には連絡がつかない)。
一時期、配偶者のようであった吉田日出子は、表現されているものと実生活に著しい乖離があり、偽善者と酷評。その後、岡林信康とは訣別している。また、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』は、岡林が山谷に長期滞在して作ったといわれるが、実際には一週間程度しか滞在していなかった。
1990年4月18日に夜のヒットスタジオSUPERに出演。これ以後、生放送の歌番組には出演していなかったが、2006年になってラジオの文化放送(東京 AM1134KHz)に出演。DJや公開ライブを行っている。更に、2007年1月29日には「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のテレフォンショッキングに出演した。
サントリー「京番茶」のCMでは、出勤拒否を娘に諭される交番のおまわりさんを演じ、好評を得た。