フォークソング
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フォークソング(フォークミュージック)は、音楽のジャンルの一つ。
現在では主に2つの意味で使われる。
- 民謡のこと:これは英語のfolk musicの元来の意味範囲である。
- 20世紀半ばに1.の意味から派生したポピュラー音楽のジャンルの一つ。主としてプロテストソングである。典型的には伴奏はアコースティックギターやバンジョーであり、ロックのように電気楽器は使わない。
英語圏で民謡という意味でfolk musicというと、英語圏(やや範囲が広がっても欧州程度)の民謡に着目する傾向が強かったが、近年folk musicについて体系的に語られる際には、(musicと結びつけない)folkという単独の単語のもつ意味を反映して全世界の民族的なもの全般を扱うことが増えている。この意味では19世紀にジャンルが確立して20世紀に発展したような比較的新しい民族的音楽も含む場合がある。
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[編集] フォーク・リヴァイヴァル
1940年代以降、アメリカでプロの作曲家が作った曲ではなく、民衆の間に昔から親しまれていた民謡を演奏するプロ・ミュージシャンの動きが台頭した。
1940年代のウィーヴァーズらの活動は赤狩りの影響などにより広範な動きにはつながらなかったが、1958年にデビューしたキングストン・トリオがポップチャートで民謡をヒットさせたことを機にこの動きは全米に広がり、ハイウェイメン、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリー、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ、ボブ・ディランなど多くのアーティストが登場した。
これらのアーティスト達は次第に民謡だけでなく、民謡に影響を受けたオリジナル曲も歌うようになる。生活苦などをテーマにした民謡に影響を受けた彼らは、人種差別反対、戦争反対などの社会的なメッセージを込めた曲を多く発表した。これをプロテスト・ソングと呼ぶ。
1963年頃にはフォーク・シーンはオリジナル曲中心になっていたが、そうなって以後のフォークをニュー・フォークとも呼ぶ。
フォーク・リヴァイヴァル勃興期の演奏形態としては、バンジョー、アコースティックギター、ウッド・ベースという楽器編成が多く、中心楽器はバンジョーであった。しかし、次第にバンジョーは使われなくなり、アコースティックギターが中心的な楽器となっていった。
同時期のロックンロールがシングル盤中心であったのに対し、フォークではLP盤主体の販売が行われた。これは、ポップミュージックのアルバム志向化のさきがけと言われる。
フォーク・シーンで活躍したボブ・ディラン、ロジャー・マッギン、ジーン・クラークなどの多くのミュージシャンは、1964年のビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレキギター、エレキベース、ドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった。これをフォーク・ロックと呼ぶ。
[編集] 主なアーティスト
- レッドベリー
- ウッディ・ガスリー
- ウィーヴァーズ
- ピート・シーガー
- ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ
- キングストン・トリオ
- ハリー・ベラフォンテ
- ランブリン・ジャック・エリオット
- ハイウェイメン
- ブラザーズ・フォア
- ボブ・ディラン
- ピーター・ポール&マリー
- ジョーン・バエズ
- フィル・オクス
- ニュー・クリスティ・ミンストレルズ
- ジャーニーメン
- チャド・ミッチェル・トリオ
- モダン・フォーク・カルテット
- ジュディ・コリンズ
- アーロ・ガスリー
[編集] 日本のフォーク
日本においては、ポピュラー音楽としてのフォークソングは、ロック・バンドのスタイルがグループサウンズとして発展したのとも似て、やや独自に日本の「フォーク」(日本では、「フォークソング」と「フォーク」とで、指し示すものが通常少し違い、通常は「フォークソング」という長い言い方はしない)として発展してまた意味範囲が広い。日本での初期のフォークはニュー・フォークの影響下にあるケースが多い。それ以前はカントリー・ミュージックの影響下にあったが、それらはフォークとは呼ばれず、カントリー&ウェスタンと呼ばれた。
余談だが、グループサウンズ流行期、GSと同じステージにフォークグループが立つことが珍しくなかった。現にGSとフォーク共演のコンピレーションアルバムは何枚も出ている。そして、日劇ウェスタンカーニバルと呼応した形で日劇フォークカーニバルという企画もあった。
日本におけるフォークの呼称には、さまざまなものがある(フォークシンガー参照)。
例えば、歌謡フォークとは、歌謡曲的な要素、すなわち、大衆性、非メッセージ性、アイドル性などを取り入れたフォークのこと。ニューミュージックに近い。さらに、歌謡フォークがヒットすると、産業フォークとも呼ばれたが、これは、ヒットすることにより音楽産業に取り込まれたフォークを意味する。ニューミュージックとほとんど同義と言ってよい。基本的には、(ニューミュージックに対する)蔑称である(なお、産業ロックも参照)。
他にも、叙情派フォーク、四畳半フォーク、セメントフォーク(セメントのように、どろどろとしたフォークの意味か? 21世紀に入って使われ始めた言葉だともいわれる)、メッセージフォークなどがある。
また、2000年代にはゆず、19、コブクロなどがブレイクしたことによってロックとフォークの融合体という意味で「ネオ・フォーク」なる呼称も使われていたが、最近では使用されなくなってきている。ただ、これらネオ・フォークはかつての吉田拓郎のようなメッセージ性が薄いとして旧来のフォークファンにはあまり好かれていない傾向があるようである。特に音楽界屈指のフォークマニアとして知られるTHE ALFEEの坂崎幸之助は「ネオ・フォークはやはり、違う。まだまだ60~70年代のフォークの足元にも及ばない。」と言った趣旨のことを自身の著書で語っている。
[編集] 歴史年表
1965年、日劇フォークソングフェスティバル開催。
1966年、(ビートルズ来日。) マイク真木『バラが咲いた』。五つの赤い風船、活動開始。『フォークソング合戦』フジテレビではじまる。日劇フォークソングフェスティバルで、高石友也プロデビュー。
1967年、高石友也、大阪で初リサイタル。東京日比谷野外音楽堂で、遠藤賢司、小室等、フォーク・クルセイダーズその他により「ニューポート・フェスティバル・イン・ジャパン」開催。フォーク・クルセイダーズ『帰ってきた酔っ払い』ヒット
1968年、フォーク・クルセイダーズ『イムジン河』発売禁止。岡林信康『くそくらえ節』『がいこつの唄』で登場、『山谷ブルース』発売禁止。高田渡『自衛隊に入ろう』発表。フォーク・クルセイダーズ解散。
1969年、はしだのりひことシューベルツ『風』、ビリーバンバン『白いブランコ』ヒット。東京新宿駅西口にフォークゲリラあらわれ、機動隊が動員され、ガス弾で弾圧。アンドレカンドレ(井上陽水)デビュー。高石友也さよならコンサート。
1970年、「インターナショナルフォークコンサート」開催、前夜祭に遠藤賢司、あがた森魚その他出演。吉田拓郎デビュー。第2回フォークジャンボリー開催。
1971年、はしだのりひことクライマックス『花嫁』ヒット。第3回フォークジャンボリー開催。東京世界歌謡祭で上条恒彦『出発の歌』グランプリ受賞。
1972年、
1973年、
1974年、
1975年、
1976年、
1977年、
1978年、
1979年、
1980年
[編集] 歴史
[編集] 関連項目
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