岩城宏之
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岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者・打楽器奏者。
東京都出身。東京芸術大学音楽学部打楽器科中退。名古屋フィルハーモニー交響楽団初代音楽総監督、NHK交響楽団正指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、東京混声合唱団音楽監督、京都市交響楽団首席客演指揮者、札幌交響楽団桂冠指揮者、メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者。夫人は、ピアニストの木村かをり。齋藤秀雄門下。同時期の同門に、小澤征爾、山本直純。東京芸大打楽器科(当時、学年定員2名)ただ1人の同級生に、ジャズドラマーの故・白木秀夫がいる。
目次 |
[編集] 人物
1963年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にデビュー。オール・チャイコフスキー・プログラムを指揮。1977年、急病のベルナルト・ハイティンクの代役として、日本人として初めてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会の指揮台に登り、ベルリオーズの「幻想交響曲」他を指揮し、好評を博した。翌シーズンのウィーン・フィル定期にも登場、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」他を指揮した。そのほか、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮台にも立った。
近年の顕著な活動としては、2004年12月31日の昼から翌2005年1月1日の未明にかけて、東京文化会館でベートーヴェンの全交響曲を1人で指揮した事が知られている。この企画は、翌2005年12月31日にも東京芸術劇場で行われ、しかもスコア(楽譜)なしで、全曲を暗譜の上指揮するという離れ業を演じて、聴衆や関係者を驚かせた。なお、後者の回では、彼の健康面に配慮し、途中1時間の休憩時間を設けたり、日野原重明医師を聴衆として立ち会わせ、休憩時間にはヘルスケアを行うという条件下で、プログラムを消化していった。この演奏会はインターネットでもストリーミング中継された。
「初演魔」として知られ、特に自身が音楽監督を務めるオーケストラ・アンサンブル金沢では、コンポーザー・イン・レジデンス(専属作曲家)制を敷き、委嘱曲を世界初演することに意欲を燃やした。また、黛敏郎の作品を精力的に指揮した。
指揮活動のほかにも、打楽器奏者としての演奏活動、テレビ・ラジオへの出演、プロデューサー、音楽アドバイザー、執筆など多彩な活動を行っていた。
1971年の第22回NHK紅白歌合戦ではエンディングの蛍の光の指揮を務めた。
1987年、指揮者の職業病ともいうべき頸椎後縦靭帯骨化症を患ったのを皮切りに、1989年胃がん、2001年喉頭腫瘍、2005年には肺がんと立て続けに病魔に襲われたものの、その度に復活し、力強い指揮姿を披露したが、5月24日、東京・紀尾井ホールで東京混声合唱団の指揮後、体調を崩して入院。2006年6月13日午前0時20分、心不全のため都内の病院にて死去した。享年73。
[編集] エピソード
- 近衛管弦楽団(近衛秀麿が主催)のティンパニ奏者(学生のため入団はせず)としてデビューしている。
- 作曲家の山本直純は一年後輩に当たる。山本と出会った頃、岩城は打楽器よりも指揮に興味を持つようになり、二人で「(芸大の)後輩達を騙し」て楽団を結成、その指揮者となった。
- N響から打楽器での入団を求められたが、「首席だったら」と条件を付けたところ呆れられて無かったことになった。翌年、「将来、指揮をやりたくありませんか」と誘われたため、二つ返事で指揮研究員として入団した。
- オリヴィエ・メシアンから解釈を絶賛されるなど、現代音楽の印象が強い。しかし、海外の現代音楽を意欲的に振るよりも、主に存命の日本人作曲家を集中的に取り上げることが多かった。クセナキスの「ホロス」の初演を契機として、海外の現代音楽の初演熱は冷めたものの、日本人作曲家の新作初演は指揮と打楽器演奏の両面で亡くなるまで続けられた。
- 生前、彼のティンパニ演奏は企業CFに使用されたことがあった。
- メルボルンには、名前を冠した Iwaki Auditorium があり、メルボルン交響楽団の練習場としても使われている。
- メルボルン交響楽団時代に春の祭典の演奏で振り間違えたことがある。普通の指揮者ならお茶を濁して自らの責任を回避しようとするところであるが、岩城は聴衆に向かって指揮を間違えたことを詫び、最初から振りなおしたという。このことで、岩城に対する同楽団の信頼はより固いものになったという。
- 現代音楽の作品の初演のとき、お義理の拍手をした聴衆に「お義理の拍手は結構です」と言ったという。
- 世界で活躍する日本のスポーツ選手の応援に熱心であり、音楽監督を務めるオーケストラアンサンブル金沢で石川県出身の松井秀喜選手の応援歌を企画していた。死去する直前には骨折で離脱した松井へエールを送っており、これが岩城が生前に出した最後の手紙だった。
[編集] 年譜
- 1932年9月6日 - 東京で生まれる。
- 1945年 - 空襲で被害に遭い、金沢に転居。金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)に通う。この年、中部日本新聞社主催の音楽コンクールで木琴の演奏をし、特別賞(賞金500円)を受賞。
- 1947年 - 学習院中等科に転校。
- 1954年 - 東京芸術大学在学中にNHK交響楽団の副指揮者となる。
- 1956年 - 指揮デビュー。
- 1963年 - NHK交響楽団の指揮者になる。
- 1965年 - バンベルク交響楽団の指揮者になる。
- 1968年 - ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者就任。
- 1969年 - NHK交響楽団正指揮者就任。
- 1971年 - 名古屋フィルハーモニー交響楽団初代音楽総監督。
- 1974年 - メルボルン交響楽団首席指揮者就任。
- 1987年 - メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者就任。
- 1975-78年 - 札幌交響楽団常任指揮者在任。
- 1978-88年 - 札幌交響楽団音楽監督在任。
- 1983年 - 参議院選挙の比例区に無党派市民連合より立候補するが落選。
- 1988年 - オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)音楽監督就任。
- 1991年 - 著書『フィルハーモニーの風景』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
- 2003年12月15日 - 日本芸術院会員就任。
- 2004年12月31日 - ベートーヴェン全交響曲を1人で指揮。(「ベートーヴェン・振るマラソン」)(場所:東京文化会館)
- 2005年12月31日 - 再び、ベートーヴェン全交響曲を1人で指揮。(場所:東京芸術劇場)2年連続の演奏は世界で初めてと思われる。
- 2006年6月13日 - 心不全のため東京都内で死去。享年73。
[編集] 著書
『行動する作曲家たち――岩城宏之対談集』『この目で見た東欧』を除いてここでは単著のみを掲載した。共著や対談集、雑誌記事については岩城宏之著作リストに詳しい。
- 『男のためのヤセる本』産報、1972年→新潮文庫、1981年
- 『棒ふりの控室』文藝春秋、1975年→文春文庫、1981年
- 『岩城音楽教室』光文社、1977年→知恵の森文庫、2005年
- 『棒ふりの休日』文藝春秋、1979年→文春文庫、1982年
- 『棒ふりのカフェテラス』文藝春秋、1981年→文春文庫、1986年
- 『岩城宏之のからむこらむ』話の特集、1981年→新潮文庫、1987年
- 『ハニホヘト音楽説法』新潮社、1982年→新潮文庫、1984年
- 『楽譜の風景』岩波新書、1983年
- 『棒ふり旅がらす』朝日新聞社、1984年→朝日文庫、1986年
- 『屋上の牡牛』湯川書房、1985年
- 『棒ふり旅がらす 続』朝日新聞社、1985年→『棒ふりプレイバック'84』朝日文庫、1987年
- 『行動する作曲家たち――岩城宏之対談集』新潮社、1986年
- 『岩城宏之のからむこらむ part 2』話の特集、1986年→新潮文庫、1989年
- 『森のうた』朝日新聞社、1987年→朝日文庫、1990年→講談社文庫、2003年(点字版あり。東京電力、1988年)
- 『九段坂から』朝日新聞社、1988年→朝日文庫、1994年→朝日文庫、2003年(大活字版あり。埼玉福祉会、2000年)
- 『回転扉のむこう側』集英社文庫、1990年
- 『フィルハーモニーの風景』岩波新書、1990年
- 磯村尚徳、岩城宏之『この目で見た東欧』ジャパンタイムズ、1990年
- 『岩城宏之のからむこらむ part 3』話の特集、1992年
- 『いじめの風景』朝日新聞社、1996年
- 矢崎泰久、坂梨由美子編、岩城宏之著『岩城宏之の特集』自由国民社、1997年
- 『指揮のおけいこ』文藝春秋、1999年→文春文庫、2003年
- 『作曲家武満徹と人間黛敏郎』作陽学園出版部、1999年
- 『チンドン屋の大将になりたかった男』日本放送出版協会、2000年
- 『オーケストラの職人たち』文藝春秋、2002年→文春文庫、2005年
- 『音の影』文藝春秋、2004年
[編集] 外部リンク
カテゴリ: クラシック音楽関連のスタブ | 日本の指揮者 | 日本のパーカッショニスト | 国政選挙立候補経験者 | 東京都出身の人物 | 1932年生 | 2006年没