川村かおりのオールナイトニッポン
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川村かおりのオールナイトニッポン(かわむら - )は、ニッポン放送制作の深夜放送、オールナイトニッポンで放送されていたラジオ番組。
1989年4月から1991年5月まで、土曜2部(毎週土曜日深夜27:00~29:00)の枠で19局ネットで放送されていた(ちなみに他の曜日のオールナイトニッポン第2部のネット局数は9局)。
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[編集] 概要
本番組のパーソナリティである歌手・川村かおり(現・川村カオリ)の毎週ハイテンションで時々キレそうなほどのノリ(ちなみに当時FM802で音楽番組のレギュラーを持っていたことがあったが、こちらは本番組とは全然雰囲気が違っていたという)と、モスクワ生まれでロシア人とのハーフである川村の特性を生かした、ロシア語や当時のソビエト連邦についてわからない事などを教えるコーナーなどがあったのがこの番組の特徴。「弱冠18歳!」(後に誕生日を過ぎるたびに「弱冠19歳!」など変わった)とオープニングに叫ぶのが通例だった。
番組を通じてソ連との交流も行われ、ソ連大使館(現・ロシア大使館)においてバレーボールとサッカーの大会(1990年4月12日実施、同年4月14日放送)、バスケットボール大会(1990年10月10日実施、同年10月13日放送)とスポーツ大会が二回開催された。また1990年2月18日にはモスクワから生放送を行っている。最終的には当時のミハイル・ゴルバチョフ書記長をゲストに招くのが目標だったという。これが実現すれば間違いなくラジオの歴史に残る快挙と言われていたが、結局実現しなかった。
[編集] 主なコーナー
[編集] ゴルバチョフへの手紙
モスクワについての話、リスナーからのソ連についての質問に答えていた他、現地のロシア人と電話をつなぎ、ソ連で話題になっていることや流行などを色々取材していた。ロシア人との取材中は時々ラジオから聞こえてくるのがロシア語だけ、というのも特徴的だった。リスナーからのはがき、手紙は実際にソ連大使館に持っていったりもしていた。
[編集] 食はクリエイティブだ
鮭茶漬けでお茶の代わりにホットミルクをかける、キムチご飯にドンパッチ(駄菓子)を乗せるなど、リスナーから寄せられた変わった食べ物の組み合わせで色々試食をしていたコーナー。
[編集] うそかまことかまゆつば伝説
[編集] 放送されていた局
(☆ - 当時、2部は土曜日のみ放送していた局)
オールナイトニッポン土曜2部 | ||
前担当: 田中義剛 |
川村かおりのオールナイトニッポン 土曜 27:00 - 29:00 川村カオリ |
次担当: 電気GROOVE |