左藤章
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左藤 章(さとう あきら、1951年7月12日 - )は日本の政治家。衆議院議員(大阪2区)。福井県立高志高等学校、福井大学工学部卒。
郵政大臣と法務大臣を務めた左藤恵の女婿となり、その地盤を受け継ぐ。長く左藤恵の秘書を勤めた後、その引退に伴って2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。続く2003年の第43回衆議院議員総選挙にも当選。院内での委員会出席率は、全議員中でナンバーワンを誇ったという。
2005年、郵政民営化関連6法案の採決に際し、大阪府選出の自由民主党議員としては唯一反対票を投じた。そのため、同年の第44回衆議院議員総選挙では党公認を得ることができず、無所属で出馬。無名候補と言われた同党公認の川条志嘉に2530票の僅差で敗北を喫し議席を失った。次期選挙での議席奪回を目指しているという。
なお、落選確定直後に、テレビ朝日系列の選挙STATIONにおいて、「衆議院解散後、郵政反対票を投じた議員の中で最も早く、自民党執行部に対して弁明書を送付した議員」だということを暴露される。保身の為に主張を変えた、と有権者に判断されたというのも落選の一因とされる。また、その落選には、阿倍野区選出の大阪市議会議員・木下吉信との数年前からの対立があり、大阪2区に所属する9人の自民党府議会・市議会議員の多くが川条を支援しない中、木下が川条の支援に全力を投じたことが理由としてもあげられている。
演説時、何をしゃべっているか分からない議員として大阪2区では知られている。「左藤ドラえもん」の愛称で親しまれる。