巨砲丈士
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巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は、三重県四日市市出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の元大相撲力士。身長183cm、体重146kg。得意手は右四つ、上手出し投げ、寄り。最高位は東関脇。本名は松本 隆年(まつもと たかとし)。
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[編集] 来歴
1971年(昭和46年)5月場所、横綱・大鵬の内弟子として二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。父親は時津風部屋所属の元十両筆頭・劍龍で、入門して初めて父親が元力士と知った。1971年12月に大鵬が二所ノ関部屋から分家独立したのに伴い、大鵬部屋へ移籍した。1977年(昭和52年)7月場所、嗣子鵬と共に新十両となり大鵬部屋初の関取として話題となる。
1979年(昭和54年)3月場所で新入幕を果たし、大鵬部屋第1号の幕内力士となった。その後も相撲巧者ぶりを見せて、1980年3月場所で新小結、1981年5月場所で関脇に昇進した。しかし、握力が強く右四つが得意ではあったが攻めが遅いのが欠点で、十分に組んでも負ける場合があり、相手力士の勝ち味の速さで取り口の良し悪しが分かれた。また大物食いとしても知られ、金星は第54代目横綱輪島から第59代目横綱隆の里までの計6横綱(輪島、北の湖、若乃花、三重ノ海、千代の富士、隆の里)から10個を獲得した。
しかし、結局大関昇進の夢は果たせず、丈夫で長持ちの代表的な力士として幕内連続在位78場所(幕内では休場は1回もなかった)、幕内連続出場1170回を数えたが、1992年(平成4年)1月場所に幕尻前頭15枚目で4勝11敗に終わり十両へ陥落した。幕内への復帰を目指したが、十両在位のまま1992年5月場所を最後に36歳で引退した。
引退後は、大鵬親方所有の年寄・大嶽を借り、さらに朝日山親方(元大関・大受)所有の楯山を借りて、大嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっている。かつては協会内で委員を務めていたこともあったが、2003年(平成15年)から借り株の年寄は主任以上にはなれないことになったため、平年寄に降格となった。現在も平年寄のままである。
[編集] 主な成績
- 通算成績:753勝809敗18休
- 幕内成績:533勝637敗
- 幕内在位:78場所
- 幕内連続在位:78場所(歴代3位)
- 幕内連続出場:1170回(歴代2位)
- 三役在位:11場所(関脇3場所、小結8場所)
[編集] 三賞・金星
- 三賞:4回
- 殊勲賞:2回(1981年9月場所、1983年9月場所)
- 敢闘賞:1回(1979年5月場所)
- 技能賞:1回(1981年3月場所)
- 金星:10個(2代目若乃花4個、三重ノ海1個、輪島1個、北の湖1個、千代の富士2個、隆の里1個)
[編集] 改名歴
- 大真 隆年(だいしん たかとし)1971年5月場所-1973年11月場所
- 大真 克一(- かついち)1974年1月場所-1975年1月場所
- 大真 毅士(- たけし)1975年3月場所-1975年5月場所
- 大真 毅一(- たけかず)1975年7月場所-1976年1月場所
- 大真 毅士(- たけし)1976年3月場所-1977年1月場所
- 大真 毅一(- たけかず)1977年3月場所
- 大真 毅士(- たけし)1977年5月場所-1978年1月場所
- 巨砲 丈士(おおづつ たけし)1978年3月場所-1992年5月場所
[編集] 年寄変遷
- 大嶽 丈士(おおだけ たけし)1992年5月-1997年7月
- 楯山 丈士(たてやま -)1997年7月-