張宝
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張宝(ちょうほう、148年?-184年)は、後漢末期に黄巾の乱を起こした指導者・張角の次弟。
黄巾の乱が起こると『地公将軍』と称した。兄・張角は反乱を起こしたときにはすでに病に倒れていたため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。三国志演義では張宝は妖術を使うことを得意とし、その妖術をもって後漢王朝が送り出した鎮圧軍を何度も撃破しているが、正史においては、張宝は左慈のような方術士だったのではないかとも、あるいは本物の妖術士だったのではないかとも言われており、真相は謎に包まれている。
しかし官軍が態勢を整えると、張角らは敗北し広宗に篭城、篭城先で張角は病死し、張粱は殺害される。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる漢軍に大敗し、首は京観と呼ばれる城南の塚に埋められた。三国志演義では劉備軍の策によって同士討ちを始めてしまい殺害された。