後閑信一
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後閑 信一(ごかん しんいち、1970年5月2日 - )は、群馬県前橋市出身の競輪選手 。登録番号は012172。日本競輪学校第65期卒業。日本競輪選手会群馬支部所属。ホームバンクは前橋競輪場。初出走は1990年4月7日の小倉競輪場。初勝利は同年4月9日。血液型はB型。
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[編集] 戦績
前橋育英高等学校在学中より自転車競技を行っており、1988年の京都国体でスプリント競技に優勝するなど数々の実績を上げ、日本競輪学校に65期生として入学。卒業後は吉岡稔真らが名を連ねる強豪揃いの同期の中でも実力を発揮し、1996年と2001年に2回共同通信社杯競輪を優勝したが、長い間GIだけは優勝できず不思議がられていた。
しかし2005年の第46回競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦において、盟友・神山雄一郎の助けを借りる形で優勝し、初のGIタイトル獲得を成し遂げた。その年のKEIRINグランプリ05では優勝賞金1億円に目もくれず、武田豊樹 - 神山雄一郎の3番手につけ、神山に恩を返す形で関東ラインの援護射撃に徹する雰囲気であったが、結果は小嶋敬二の捲りを阻止するなどしたものの、自身が2着入線して賞金2千万円を獲得し、しかもゴール直後に優勝を確信して手を挙げてしまった。
2006年は地元開催の寛仁親王牌にて後輩・手島慶介の力を借りてGI2勝目を果たし、堂々と2年連続でKEIRINグランプリ06に出場したが、このレースでは手島への追走に失敗してしまい、 昨年の不名誉を晴らすことはできなかった。
[編集] 主な獲得タイトル
- 2005年 - 競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(小倉競輪場)
- 2006年 - 寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)
[編集] 競走スタイル
デビュー当時は先行もしていたが、現在は追込戦法を主体としており自力での捲りも兼備している。しかし真骨頂は自分の前で先行する選手の援護のために動き回ることで、位置の主張において競輪道を重視した人情味溢れる人物である。特に神山雄一郎との連係は有名で、過去幾度と無く結果を問わずお互いがお互いのためのレースを行なった事で知られる。
だが神山など他県選手との連係を重視するあまり、同県の選手をまとめきれていない面があり、レースで同乗した同県の選手から挑戦を受けることが度々ある。また人物評として、いかつい顔をしているのでとっつきにくい印象を持たれているが、話せば非常に「いい人」という声もある。
[編集] 関連項目
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