押尾川部屋
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押尾川部屋(おしおがわべや)は、かつて存在した日本相撲協会所属の相撲部屋。
昭和50年3月、元大関佐賀ノ花勝巳の二所ノ関親方が亡くなった。このとき、後継者が定まらず、暫定的に元幕内十勝岩豊の湊川親方が相続したが、昭和50年9月場所前に、当時現役の金剛正裕が、先代師匠の娘と婚約することが発表された。それに不満をもった押尾川親方は、何人かの力士を連れて、独立することを表明した。場所後、正式に青葉城以下の力士の移籍が承認され、押尾川部屋がスタートした。しかし、そのとき移籍がみとめられなかった天龍源一郎はそれを不服として、その後プロレスラーに転向した。
押尾川親方は、一代で下記の力士たちを育てたが、後継者の問題もあって、2005年3月31日を以て部屋を閉鎖し、所属親方・力士全員を尾車部屋へ移籍した。
[編集] 押尾川親方
- 大麒麟將能(元大関・佐賀)
[編集] 幕内
- 関脇
- 平幕