新屋晃
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新屋 晃(しんや あきら、1955年2月1日 - )は、鹿児島県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。
[編集] 来歴・人物
鹿児島県の照国高校(現在の鹿児島城西高校)を卒業後、二塁手として1972年、日拓ホームフライヤーズにドラフト6位で入団。主に控えとして過ごすが、走塁ミスのため二軍落ちし、引退。1979年にパシフィック・リーグ審判部に入局した。審判員同期に、セントラル・リーグ元審判員の鷲谷亘がいる。
審判員袖番号は29(1979年採用~2004年退職まで。※29は1977年初採用から1978年引退まで吉田正男がつけていた番号だったが現在は空番。)。小柄ながら長く中堅審判員として活躍していたが、後年は一軍試合出場が減り、最後の年は球審をすることはなかった。通算1703試合に出場し、オールスターゲーム2回出場、日本シリーズの出場はない。10.19決戦第2試合で二塁塁審、1987年5月23日に新潟県柏崎市佐藤池野球場で行われた南海-ロッテ戦(史上最後のサスペンデッドゲーム)で球審をしていた。
引退後は、硬式ボールなどを扱う事業を行っている。またエバーグリーンアンパイヤクラブに所属し技術指導を行なっている。
2006年には、日本学生野球協会の特別審査で承認を得て、関甲新学生リーグの審判員になることが認められた。 審判技術指導を行う元プロ野球審判員は多いが、大学野球で現役審判を務めるのは彼が第一号となる。プロで培った審判技術を活かし、アマ審判員の技術向上を担う存在として、今後の活躍に期待したいところである。