新潟県立糸魚川高等学校
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新潟県立糸魚川高等学校(にいがたけんりついといがわこうとうがっこう)は、新潟県糸魚川市平牛にある県立高等学校。
新潟県立糸魚川高等学校 | |
過去の名称 | 新潟県立糸魚川中学校など |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
設立年月日 | 1903年8月 |
創立記念日 | 1906年4月19日 |
校訓 | 勤倹力行 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒941-0047 |
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電話番号 | 025-552-0004 |
FAX番号 | 025-552-4107 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 経緯
1903年に新潟県立高田中学校の分校を糸魚川に設置する許可がおり、1906年に西頸城郡糸魚川町大字寺町(現:新潟県糸魚川市大字寺町)に仮校舎を建て、授業を開始した。その後旧制の県立糸魚川中学校として独立し、戦後の学制改革で糸魚川高等学校となった。一方、糸魚川には糸魚川高等女学校が戦後改称した糸魚川女子高等学校があったが、1950年に両校は統合し、あらたに男女共学の糸魚川高等学校となった。
[編集] 年表
[編集] 糸魚川高等学校
- 1903年8月20日 - 県から設置許可がおりる。
- 1906年4月19日 - 新潟県立高田中学校糸魚川分校として開校。
- 1907年3月15日 - 新潟県立糸魚川中学校として独立し、4月1日より開校することが認可される。
- 1913年4月1日 - 県財政悪化のため廃校の動きがあり、郡立に移管して西頸城郡立糸魚川中学校となる。
- 1914年3月25日 - 県立に復帰し、ふたたび新潟県立糸魚川中学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革のため新潟県立糸魚川高等学校(男子校)となる。
- 1950年4月1日 - 新潟県立糸魚川女子高等学校と合併し男女共学の新潟県立糸魚川高等学校となる。
- 1961年4月1日 - 商業科を分離(現新潟県立糸魚川白嶺高等学校)。
- 1995年4月 - 55分授業開始。
- 2006年4月 - 創立100周年。
[編集] 糸魚川女子高等学校
- 1907年9月1日 - 西頸城郡立女子職業学校として創立開校。
- 1912年4月1日 - 西頸城郡立糸魚川実科高等女学校となる。
- 1919年4月1日 - 組織変更により西頸城郡立糸魚川高等女学校となる。
- 1922年4月1日 - 県立移管により新潟県立糸魚川高等女学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革により新潟県立糸魚川女子高等学校となる。
- 1950年3月31日 - 新潟県立糸魚川高等学校との統合により閉校。
[編集] 教育組織
[編集] 教育目標
- 正しい判断力と豊かな心情を養い、勤倹力行の生活習慣を培う。
- 自主独立の精神を高め、個性の伸長をはかる。
- 基礎学力の向上に努めると共に創造性の高揚をめざす。
- 生徒としての自覚を通じ誠実な社会人となる資質を育成する。
[編集] 交通
※バイク通学は届出制、一部の生徒のみ。
[編集] 学校行事
- 4月 - 入学式
- 5月 - 遠足、中間考査
- 6月 - 葵(あおい)祭(体育祭)
- 7月 - 期末考査、球技大会
- 10月 - 2年修学旅行、中間考査
- 11月 - マラソン大会 亀陵祭(文化祭)
- 12月 - 期末考査
- 1月 - 1・2年中間考査、3年学年末考査、1年学校スキー
- 3月 - 1・2年学年末考査、卒業式
[編集] 著名な出身者
- 伊藤敏博(シンガーソングライター)