明石海峡大橋
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路線規格 | |
路線名 | 国道28号(神戸淡路鳴門自動車道) |
道路区分 | 第1種第2級 |
車線数 | 6車線 |
設計速度 | 100km/h |
明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)は、兵庫県淡路市(旧津名郡淡路町)と兵庫県神戸市垂水区とを結ぶ、明石海峡を縦断して架けられた吊り橋である。
目次 |
[編集] 概要
全長3911m、中央支間1991mで世界最長の吊り橋である。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京タワー(333.0m)に次ぐ構造物である。1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。建設費は約5000億円。
建設当初は全長3,910m、中央支間1,990mであったが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、1m伸びた。
当初、中央径間長1780mの道路・鉄道併用橋とする計画もあったが、建設コストの問題から1985年8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。
公募により愛称がパールブリッジと定められたが、地元でもこの名前で呼ぶ人は少なく、管理者であるJB本四高速(本州四国連絡高速道路株式会社)でさえも使用していない。省略して明石大橋と呼ばれることもあり、高速道路上の案内標識等でも同略称が使われていることがあるが(第二神明道路下り線等)、明石大橋は明石市の明石川を国道2号が渡る橋として既に存在する。なお、明石大橋とは呼ばれるものの、兵庫県明石市とは接していない。
淡路島内のみならず、本州と四国を結ぶ三本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、四国と近畿、更には本州の各大都市間を結ぶ交通の要になっている。交通量も本四架橋の橋の中では最も多い。
垂水IC~淡路IC間のキロ当たりの通行料金は普通車で約203.54円となっている。(現在の通行料は、垂水~淡路間の普通車片道料金が2,300円)
設計速度は100km/hだが、通常時の最高速度80km/h・最低速度50km/h。
2006年現在も世界最長の吊り橋である。
[編集] ケーブル諸元
吊り橋の命であるメインケーブルは片側1本で計2本、1本につき290本のストランド(子綱)で構成されている。そのストランドは127本のワイヤーで構成されケーブル1本の合計で36830本のワイヤーを使用していることになる。ワイヤーは直径5.23mmで引張り強度は1mm²あたり180kgである。1本のケーブルの直径は112.2cmになり約6万トンの加重を支える。風雨から保護するため表面をゴムで覆っている。
ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープの渡海には世界で初めてヘリコプターが使用された。
[編集] 経緯
戦前から架橋構想はあったが、技術的な問題および軍事上の理由(大型軍艦が明石海峡を航行できなくなるため)から具体化には至らず。
- 1955年(昭和30年)4月 - 国鉄が本四淡路(Aルート)の調査開始。
- 1959年(昭和34年)4月 - 建設省が道路の調査開始。
- 1969年(昭和44年)5月 - 新全国総合開発計画策定。
- 1970年(昭和45年)7月 - 本州四国連絡橋公団設立。
- 1973年(昭和48年)10月 - 工事実施計画認可。
- 1985年(昭和60年)8月 - 国土庁長官、運輸大臣、建設大臣で明石海峡大橋を道路単独橋とする方針に合意。
- 1985年(昭和60年)12月 - 明石海峡大橋事業化決定。
- 1986年(昭和61年)4月 - 起工式。
- 1988年(昭和63年)5月 - 現地工事着手。
- 1989年(平成元年)3月 - 2P鋼ケーソン設置。
- 1989年6月 - 3Pケーソン設置。
- 1990年(平成2年)1月 - 4A基礎工開始。(Aはアンカーレイジ、橋台)
- 1990年3月 - 1A基礎工開始。
- 1992年(平成4年)4月 - 2P主塔架設開始。
- 1992年6月 - 3P主塔架設開始。
- 1992年9月 - 1A基礎工完了。
- 1992年12月 - 4A基礎工完了。
- 1993年(平成5年)1月 - 2P主塔架設完了。
- 1993年4月 - 3P主塔架設完了。
- 1993年11月 - パイロットロープ渡海。
- 1994年6月 - ストランド架設開始。
- 1994年11月 - ストランド架設完了。
- 1995年1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生、全長および中央支間が1m伸びる。
- 1995年6月 - 補剛桁架設開始。
- 1996年9月 - 補剛桁閉合。
- 1998年4月5日 - 供用開始。
[編集] ライトアップ
明石海峡大橋のケーブルには三原色のイルミネーションランプが取り付けられており、季節や日時に応じて彩りを変えている。(国際的な照明デザイナーである石井幹子が担当した。)ライトアップは日没から24時までである。
- ライトアップの彩色
- 平日:春季は緑、夏季は青、秋季は赤、冬季は黄。
- 休日:緑と青。
- 時報パターン(正時):虹色。
- 時報パターン(毎30分):誕生石をイメージした色。
- 地元や国民的行事のイベントに合わせた色でライトアップされることもある。
- 阪神・淡路大震災発生日の1月17日は、鎮魂の願いを込めた白一色。(時報はなし)
[編集] 付帯施設
神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道、展望台が設けられている。橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行くことができる。途中、床が透明になっている部分もあり直接海面を望むスリルを味わうことができる。
同じく神戸側の陸上に橋の科学館が開設されており、明石海峡大橋を中心に橋についての技術的、歴史的展示を行っている。頭上には風洞実験に用いた1/100サイズの模型も展示されている。また土産としてケーブルの素線の実物サンプルが販売されている。また一般では通常入れない管理通路や主塔の頂上に登るブリッジワールドという行事も予約制(期間・人数限定)で行われている。
[編集] 夢のかけ橋
神戸・鳴門ルートは、瀬戸大橋よりも10年遅れて全通した。これは、当該ルートの明石海峡架橋が最大の難関であったからである。この長大橋は、計画当時世界最長を誇っていたハンバー橋を500m以上も上回る長さであった。
橋の構想自体は戦前からあったが、当時の事情から立ち消えになっている。この橋を最初に構想した当時の神戸市長、原口忠次郎が「市長は夢を見ているのか」と批判されたことに対し「人生、すべからく夢なくては」と言ったことから夢の架け橋と呼ばれるようになったとされる。
[編集] 影響
[編集] 架橋による「安定」効果
明石海峡大橋開通で本州・淡路又は本州・四国間が陸続きになった事で様々な利点を生じた。
たとえば、朝に採れた徳島県産の農水産物を「安定的」に京阪神方面へ出荷できるようになった。(特に、徳島県の地鶏である阿波尾鶏の出荷量は、開通以前よりも倍増している。)徳島県をはじめ四国産の農水産物は、京阪神の市場で大きなシェアを占めるようになった。
また、明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが収納されている。これまで淡路島は慢性的な水不足に悩まされていたが、水道管が設けられた事で水の安定供給が実現した。
[編集] 交通への影響
明石海峡大橋開通以前は神戸港~高松東港間には4社・6隻のフェリーが就航していたが、撤退により加藤汽船の2隻(りつりん2、こんぴら2)が就航するのみになった。その加藤汽船も撤退し、第三セクターのジャンボフェリーが引継ぎ運航しているが、低料金で対抗するなど苦戦を強いられている。
一方で、京阪神と淡路島・四国を結ぶ高速バスが次々と開設されている。瀬戸大橋とは異なり、並行する鉄道路線が無いため、現在に至るまで増便が繰り返されている。特に高松・徳島~京阪神間については、鉄道利用だと大回りになるうえ、宇野線がボトルネックとなっているため増発がままならず(通勤通学の時間帯は乗車率が200%を超えることがある)、高速バスが輸送の主体となりつつある。その中の本四海峡バスや高松エクスプレスは、船舶失業者対策の側面をもって設立されたバス会社である。