村八分 (バンド)
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村八分(むらはちぶ)は、日本のロックにおいて「伝説」「まぼろし」とされたバンドである。
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[編集] 特徴
音楽的にはローリングストーンズ的なブルースロック等を基調としながらも、日本的な風情をもった攻撃的な楽曲を展開。ドラムスがズレようとおかまいなしに突き進み、時には客とケンカし、音源の発表よりもライブにこだわりつづけた。 ヴォーカルのチャー坊のステージ上でのダンス、挑発的ながらユーモラスなMC、美声とは程遠いがなり声、「めくら」「びっこ」など現在では差別用語と言われるような過激な表現の歌詞など、アンダーグラウンドな雰囲気が漂うバンドである。 また、山口の中性的なメイクはグラムロックのそれを先取りしていたともいえよう。
[編集] メンバー
[編集] 初期メンバー
- 柴田和志(Vo/通称チャー坊)
- 山口冨士夫(Gt/元ダイナマイツ)
- 浅田哲(Gt/73年2月頃脱退)
- 青木真一(Ba/71年脱退)…1976年にSPEED(後年のアイドルグループとは無関係)を結成、1980年代後半まで活動。
- 恒田義見(Dr)
[編集] 途中加入メンバー
[編集] 歴史
- 1969年、アメリカ放浪から帰国した柴田和志と山口冨士夫を中心に京都で結成。柴田による京都弁そのままの扇動的MC、山口のグラムロックばりの化粧など強力なインパクトで、関西を中心に人気を得ていく。
- 1972年11月23日、慶應義塾大学三田祭野外ステージにてライヴを行う。
- 1973年5月5日、京都大学西部講堂にて伝説のラストライヴを行う。同年このライブを収録した唯一の正式音源『ライヴ』を発表。これにより彼らの噂は全国的なものへ広がっていく。
- 1973年8月25日、解散。
- 1978年5月再結成、浅田復帰。
- 1978年7月頃に自然消滅。
- 1979年7月15日、京都大学西部講堂にての再結成ライヴ
- 1990年、柴田が村八分名義で活動。
- 1994年、柴田逝去
[編集] エピソード
- ローリング・ストーンズのライブアルバム「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」の中で「カッチョイイ~」と言う日本語らしき声が聞こえるが、これは柴田の声であるという噂がある。
- 唯一の公式アルバム「ライブ」であるが、レコード会社「エレック」の倒産や歌詞の問題もあり、長らく廃盤になっていた。最近になって再発された「完全盤」でも「あッ!!」はあまりにも歌詞が過激と言う事で収録されなかった。ようやく「ライブ+1」というアルバムで日の目を見た。
- ギタリストのCharがセックス・ピストルズを聞いて「これ村八分と一緒じゃん」と発言したのは有名な話である。(ちなみにピストルズは1976年デビュー)
- 「ライブ」の「のうみそ半分」はインストルメンタルで歌がないが、これは単に柴田が急に歌わなかったためで実際には歌詞があるという。このように他のライブでも歌わなかったり歌詞を突然変えることは日常茶飯事であった。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- Recorded Live '73(2000年10月18日)
- 鼻からちょうちん
- にげろ
[編集] アルバム
- ライヴ(1973年)
- Disk-1
- あッ!!
- 夢うつつ
- どうしようかな
- あくびして
- 鼻からちょうちん
- 水たまり
- のうみそ半分
- 馬の骨
- Disk-2
- ねたのよい
- ぐにゃぐにゃ
- のびてぶぎー
- んッ!!
- どこへ行く
- にげろ
- どうしようかな
- 序曲
- ゴミ箱のふた
- Live'72-三田祭-(2000年10月24日)
- UNDERGROUND TAPES~1972KBS京都スタジオ・ライブ(2003年1月25日)
- UNDERGROUND TAPES~1973京都大学西部講堂(2003年1月25日)
- UNDERGROUND TAPES~1979京都大学西部講堂(2003年1月25日)
- 村八分BOX(2005年11月21日)