東海線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東海線(とうかいせん)とは、日本統治時代の朝鮮半島において計画されていた鉄道路線である。
釜山から元山までを東海(日本海を意味する朝鮮語の名称)に沿って結ぶ予定であったためこの名がついたが、実際には元山から襄陽までの東海北部線と、釜山から慶州を経て浦項までの東海南部線、そして墨湖~北坪(現在の東海)~三陟(現在の墨湖港線・三陟線にあたる)が開通しただけで終戦を迎えた。
その後、朝鮮戦争によって東海北部線は軍事境界線をまたぐことになり、重要性が低かったことから南北いずれでも運行は停止された。大韓民国成立後、嶺東線として東海線の一部区間になる予定であった東海~江陵間が開業するなどしたが、東海北部線は南北いずれでも復旧はなされず、荒廃するままで放置されていた。
昨今、ロシアなどがシベリア鉄道と接続して韓国・日本から貨物を運ぶルートとして同線に注目しており、京義線とともに同線を完成させることが南北会議で合議された。すでに朝鮮民主主義人民共和国側では東海北部線の元山~外金剛(金剛山青年)間が金剛山青年線として再開通したという。しかし、列車の運行は行われていないとされる。南北連結開業の時期は未定である。
一方、韓国鉄道建設公団では日本海沿岸を南北に東海南部線と嶺東線をつなぐ新線の建設を行っており、2014年ごろに開業する予定である。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 鉄道関連のスタブ項目 | 朝鮮半島の鉄道 | 未成線