松平信復
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松平 信復(まつだいら のぶなお、享保4年4月4日(1719年5月22日) - 明和5年9月22日(1768年11月1日))は、江戸時代中期の遠江国浜松藩主、三河吉田藩主。大河内・長沢・松平家。
父は老中の松平信祝、母は側室の小林氏。子に松平信礼、本庄道揚、遠藤胤富、娘(池田政香室)。官位は従五位下、伊豆守。はじめの名は泉四郎。
[編集] 経歴
- 享保15年(1730年)1月1日、信復を名乗る。
- 享保18年(1733年)12月18日、従五位下・左衛門佐に叙任。
- 延享元年(1744年)6月4日、遺領を継ぐ。6月10日、伊豆守に改める。
- 宝暦2年(1752年)10月15日、浜松藩から三河吉田藩に転じる。吉田藩時代には、藩校時習館が設立された。
- 明和5年(1768年)9月22日、封地の吉田で死去。
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