林則清
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林則清(はやし のりきよ)は日本の警察官僚。キャリア組。元警察庁刑事局長・警視監。
[編集] 経歴
東京大学法学部卒。国家公務員I種で警察庁入庁後、警察庁暴力団対策部長、警視庁公安部長、警視庁副総監を経て、1999年1月18日、警察庁刑事局長に就任。
[編集] 人物
警察官僚の中でも高官の地位にあり、警察内では公安警察という出世コースの王道を進んできた人物で、その過程では特に公安畑で活躍し、組織犯罪対策、暴力団対策など社会的影響力の強い事業を中心に多くの実績をあげてきた。
近年社会問題となっている組織犯罪では組織犯罪対策のスペシャリストと評されており、宗教団体、テロ団体、暴力団などの組織犯罪対策で幾つもの武功をあげた。
特に暴対部長当時は暴力団対策法施行に伴い全国に号令をかけて強化的に暴力団対策運動を推進。全国中に「暴力団追放キャンペーン」を張らせ、暴力団という暴力団を市街から一掃させた。
暴力団犯罪は市民の敵なので社会的にも警察内部でも林の行動は高く評価され、全国的に名が知られていった。
この為、暴力団関係者からは恐れられておりやっかみや反発も多く見られたが、それらも撃ち払う姿勢で積極的に暴対運動に尽力。
刑事局長時代も暴対運動を積極的に推進し、思想犯・宗教団体にも目を光らせた。公安を影から指揮してオウム真理教の捜査を執り行わせていたのも林であるといわれている。
刑事局長時代、暴対部長時代は政府参考人として国会へ出席する機会も多く、国会関係者によれば強気な姿勢で豪胆なタイプの官僚であったとされる。
警察内部では全国刑事警察の中枢たる刑事局長という地位であり、その権限は非常に強大なるものだった。社会的にも騒がれた盗聴捜査などの公安捜査に関与していたともいわれている。
また読売新聞社長・渡邉恒雄と親しいらしく渡辺に対しかなりの苦言を呈していたことが知られている。
他に、組織犯罪対策関連の書籍を幾つも出版しており、組織犯罪が横行する昨今、再び注目を集めている。
今現在は退官しており、その後は日立製作所へ顧問として就任。日本中央競馬会審査会委員も兼務している。
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