柴田猛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴田猛(しばた たけし、1944年8月11日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。引退後は各プロ野球球団のコーチを歴任し、阪神タイガースで監督代行も務めた。
目次 |
[編集] 来歴・人物
野球の名門校向陽高校を経て、1963年に入団テストに合格し南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団した。
当時は野村克也捕手の全盛期であり、野村の控えとなる捕手として活躍した。その後、広島東洋カープに金銭トレードで移籍した後に現役を引退した。
[編集] コーチとしての活躍
引退後は引き続いて1977年~1981年に広島でコーチをつとめ、広島退団後もコーチとしての優秀さから各球団から引っ張りだことなり、多くの球団でコーチとして活躍している。
広島のコーチを務めたあとは、1982年から阪神のバッテリーコーチとして活躍した。なおこのときに、審判暴行事件が発生している。阪神を退団後は、1986年に古巣の南海でコーチを3年間務めた。南海退団後はオリックス(1989年~1990年)・ダイエー(旧南海)(1991年~1992年)・ヤクルト(1995年)と渡り歩いたが、1996年に再度阪神でチーフ兼バッテリーコーチを務めた。またシーズン途中で解任された当時の藤田平監督の代わりに監督代行としてチームを率いた。
退団後は中日のフロントスタッフを経て、2000年からは巨人運営部特別嘱託スタッフを務めている。「巨人スコアラーの知恵袋」とも言われ、アテネ五輪日本代表監督の長嶋茂雄からの要請を受けて、アテネオリンピック野球日本代表のアドバイザースコアラーにも就任した。
なお、1979年・1980年にはコーチとして2年連続で日本一を経験している。
南海OBとしては数少ない野村克也の子飼いであるが野村は前記の暴力事件の際柴田を批判している。が、その後ヤクルトのコーチに誘っている。
[編集] 略歴
- 投打 右投右打
- 出身地 和歌山県
- 球歴・入団経緯 向陽高校-南海ホークス(1963年~1974年)-広島東洋カープ(1975年~1981年)-阪神タイガース(1982年~1984年)-南海ホークス(1986年~1988年)-オリックス・ブレーブス(1989年~1990年)-福岡ダイエーホークス(1991年~1992年)-ヤクルトスワローズ(1995年)-阪神タイガース(1996年)
- ドラフト年度・順位 1963年入団テスト合格
[編集] 関連項目
|
- ※カッコ内は監督在任期間。