横浜銀蝿
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横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)は、1980年代の日本のロックンロールバンド。リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)と、独特の服装スタイルで歌謡界に登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り一気に若者の人気を獲得した。楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。初期の「TCR横浜銀蝿RS」時代において、多くはメインボーカルである翔の作による歌詞は、ストレートに若者の心を語ったものも多く、派手なスタイルなどとは別に楽曲自体に影響を受けた音楽ファンも少なくなかった。再結成後の楽曲は良くも悪しくも「普通」である。 尚、あのツッパリ風スタイルはあくまで売っていくためのキャラクターであり、不良出身というわけではない。
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[編集] 来歴
- 1979年9月21日 - 翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。「TCR横浜銀蝿RS」とも表記する。
- 1980年9月21日 - アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。
- 「銀蝿一家」として弟分・紅麗威甦(ぐりいす-杉本哲太在籍)、嶋大輔、妹分・アイドルの岩井小百合などがデビュー。
- 1983年12月31日 - 解散。
- 1998年1月1日 - 「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成。
- 2002年 - 7月23日に「横浜銀蝿」解散。同日に「湘南銀蝿」結成。以降、同年9月22日に解散するまで翔、TAKU、嵐の3人もそれぞれ「シャーク」、「サンセット」、「ヤシの実」と名乗り夏季限定の音楽活動を行う。解散後の翌日から「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」の名称で活動再開した。
[編集] メンバー
- Johnny(ジョニー、本名:浅沼 正人、1958年5月9日 - ) - ギター、ボーカル
- 神奈川県立柏陽高等学校卒、神奈川大学卒業。グループ所属中もソロでレコードリリースなどの活動をしていた。メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られていた(尚、本人はその事が不思議だったらしく、大量のチョコレートを見て「この国はどうなってるんだ?」と思ったと言う)。解散後もソロ活動をしたのち、1988年にキングレコードの社員となる。中山美穂、的場浩司らをディレクターとして手掛け、2002年からは「ベルウッドレコード」プロデューサー。現在は、インディーズバンドを支援する「YOKOHAMA FACTORY」を展開している。1998年の再結成には不参加。
- リーダーで、翔の実兄。血液型AB型。最年長者。数曲の作者として「タミヤヨシユキ」で登場する。2004年に脳梗塞にかかり、開頭手術を受けた。相模工大附属高校卒、関東学院大学中退。キャラクターと違い意外にも声は甲高く意外に柔らかい人物である。
[編集] 不祥事
[編集] 翔が覚せい剤取締法違反で3度逮捕
1997年覚せい剤取締法違反で逮捕され不起訴処分となったが、1999年にも同取締法違反の罪で再び逮捕され1年4ヶ月の実刑判決をうけた。さらには2003年4月24日に覚せい剤取締り法違反で現行犯逮捕。警視庁北沢署によると同署員が渋谷区内で路上駐車していた不審な車を見つけ職務質問し車内を捜索したとこ、所持していたバッグから覚せい剤数グラムを発見、現行犯逮捕した。翔は覚せい剤で、これで計3度逮捕されたことになる。3度目の逮捕の際に責任を感じたのか、実兄である嵐が髭を剃り、坊主頭となった。なお横浜銀蝿はかつて覚せい剤撲滅 キャンペーンでイメージキャラクターを勤め当時の中曽根康弘首相に総理官邸に招かれたことがある。 その際の事をマッドアマノがつっぱり内閣とパロディー化した。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] 「TCR横浜銀蝿RS」時代のアルバム
- デビューシングル「横須賀Baby」と同時リリースされた1stアルバム。バイクのエンジン音(排気音)から始まるオープニングの「ぶっちぎりRock'n Roll」はシングル「横須賀Baby」のB面の曲で代表曲の一つである。「そこのけRock'n Roll」(TAKUがボーカル)や、「尻取りRock'n Roll」など演奏時間が極端に短い(1分未満)ものもあり、全11曲の合計時間が30分に満たない。ピアノが少々聞こえるのみで基本的には4パートによるシンプルな演奏だが、いわゆる「ロックンロール」色を前面に出すためかベースの録音が大きいのがこのアルバムに限らず彼らの特徴である。
- セカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」と同時発売。シングルと共にアルバムもヒットし、オリコンのアルバムレコード売り上げで1位を獲得した。彼らのシングルA面の多くはアルバムに収録されていない中で唯一「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンンローラー」(1982年2月24日発売)のみが本アルバムに収録されている(シングルとは別アレンジ)。但しこれは唯一のちにシングルカットになった楽曲で、シングルのA面をアルバムにいれないことを公言していた彼らにとっては極めて異例のことである。「DJ Rock'n Roll」は演奏時間6分以上の長い曲。といっても曲とは言えず題名のとおり4人のDJを収録したもの。
- 「♀大好きRock'n Roll」、「ビニボンRock'n Roll」、「なぞなぞRock'n Roll」といったコミックソングが目立つ印象を受けるが、正統派ロックンロールの「ゆれてゆられてLonely night」や、「ゆくさきゃ横浜」、「雨の湘南通り」など哀愁を誘う曲もあり幅が広い。TAKUの作による曲は本アルバム以外にもあるが、「Drive OnシャカリキカリキのRock'n Roll is大好き」はTAKUのボーカルによる代表曲といえる。本作あたりから、Johnny、TAKUも作詞・作曲に名を連ねることが多くなってきている。
- シングル「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンンローラー」と同時発売。彼らの代表曲の一つである「銀ばるRock'n Roll」が収録されているが、初期の頃のロックンロール色が段々と少なくなりつつある頃の作品。「純なお前にRock'n Roll」はJohnnyがアルバム中で初めてメインボーカルを務めた曲。またアルバム収録初のインストゥルメンタルである「サーフロード」などが収録されているのが特徴である。
- バンドとして最後のオリジナルアルバムといえる作品。本アルバムでは嵐、Johnny、TAKUの3人がメインボーカルを務めた曲がそれぞれ一曲ずつ収録されている。メンバー4人全てがメインボーカルを務めたアルバムはこれが初めて。前作よりもさらにロックンロール色が薄くなり、様々なタイプの歌謡曲の集合であるといえる。とはいえ、「ツッパリ発→エリート行」、「とばしてRock'n Roll way」など、翔の作詞の良さ(クサさとも言えるが)が光る作品もあり、全体的には飽きさせない内容となっている。
- 解散まで一ヶ月を切ったタイミングでリリースされたアルバム。これまでのアルバムタイトルが自動車のトランスミッションにおける1速、2速、3速、4速、5速までを表しているのに続いて「R(リバース):後進」をタイトルにしている。横浜銀蝿のメンバーが作詞・作曲し、銀蝿一家のグループ(横山みゆきやアキ&イサオは正式には銀蝿一家ではないが)に提供している曲を、翔のDJにより紹介してゆく形式のアルバム。