ロックンロール
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ロックンロール(Rock and RollまたはRock 'n' Roll)は1950年代半ばに現れた米国の大衆音楽スタイルの呼称である。語源については「rock(揺らす)とroll(転がす)で、音楽的な躍動感に由来する」とも説明されるが、本来は米語の黒人スラングで「性交」「交合」の意味。公には、DJアラン・フリードが定着させた言葉である。「Great Balls of Fire」や「Whole Lotta Shakin' Goin' On」など、初期のロックンロールの名曲は性的なイメージを隠していることが少なくない。
ロックンロールの略語が「ロック(Rock)」である。ロックという略語はロックンロール黎明期からしばしば用いられていたが、1960年代にはロックという呼び方が一般化し、ロックンロールと呼ぶことは少なくなった。但し、アメリカでは現在もバンドサウンドであるロックのことを指して、総じてロックンロールという言葉を用いることがある。
近年の日本ではとりわけ、ロックという呼び方が一般化する以前の音楽、あるいはそれら初期のロックンロールやブルース、リズムアンドブルースに音楽的ルーツを持つ音楽をロックンロールと呼称する事が多い。本稿ではもっとも狭義の意味に絞り、1950年代のロックンロールについて紹介する。1960年代以降についてはロックの項を参照のこと。
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[編集] 音楽的特徴
ロックンロールの音楽的特徴としては、リズム・アンド・ブルースのほぼ均等なエイト・ビートや、ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、ブルースのコード進行や音階(スケール)を応用した楽曲構成を挙げることができる。それらを基に、カントリー・アンド・ウェスタンを体得した白人ミュージシャンが、双方のスタイルを混じり合わせた音楽とされる。
楽器編成としては、エレキギター、エレキベース、ドラムスという構成が代表的だが、エレキギターの代わりにアコースティック・ギターを使う例、ピアノを主体にする例、エレキベースの代わりにアコースティック・ベースを使う例、ドラムスを使わない例、サックスやオルガンを加える例など多彩である。楽器編成の多彩さは、ロックンロールという音楽が様々な音楽スタイルをそのルーツとしていることを示しているとも言える。
尚、白人ミュージシャンによるロックンロールの中でも、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強いものをロカビリーと呼ぶ。実際には1950年代のロックンロールのうち、白人の演奏したものの大部分がロカビリーである為、“ロカビリー”と“1950年代のロックンロール”がほぼ同義語として使われることも多い。
[編集] 由来と変遷
元々はパーティのダンスミュージックとして、リトル・リチャード、チャック・ベリー、オーティス・ブラックウェル、ファッツ・ドミノ、アイク・ターナーなど若い黒人たちの間に始まる。ロックンロールとR&Bの間には明確な境界線があるわけではないので、ロックンロールがいつ頃から始まったかについては諸説があるが、1940年代末には黒人ミュージシャン達の中にロックンロール的な音楽を演奏する人もいたと言われる。アラン・フリードが“ロックンロール”という呼び名を考案したのは1953年のことである。
その後、白人であるビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイスらの稀に見る商業的な成功によってロックンロールは「白人の音楽」として定着する。くねくねと腰を振り、挑発的にパフォーマンスするエルヴィスの登場により、白人音楽は黒人音楽に固有の熱狂と肉体性を手に入れることとなる。
初期のロックンロールの楽曲はアーティスト自身による自作か、ブルース、カントリー、R&Bのカヴァーだった。しかし、初期のロックンロール・シンガー達は作曲よりも歌唱を得意とする人たちであった為に曲作りのアイディアはすぐに枯渇し、カヴァーの中にもロックンロールに適した曲が無限にあるわけではない。そこで、ロックンロールがポピュラー音楽の中に占める位置が大きくなるにつれて、ロックンロール向きの新曲を大量に生み出す仕組みが求められるようになった。
こうした需要に応えたのが1958年頃から続々と登場したアルドン・ミュージック、ヒル・アンド・レインジ・ミュージックなどの新興の音楽出版社だった。これらの会社はキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチなどの若手作曲家チームを抱え、ロックンロール向きの新曲を次々と送り出した。
このような動きがもたらしたロックンロールの変化は、第一に一握りの天才的なアーティストが主導する時代から、企業によってシステム的にロックンロール作品が作られる時代に入ったことである。これは、音楽出版社の抱える楽曲ストックの中から優れた楽曲を見出すA&Rマン(プロデューサー)の重要性が増すことによってもたらされた変化である。このようにマクロな経済構造に組み込まれ、商業的にならざるを得なかったロックンロールだが、そのような商業支配の構図に対してときにその経済構造に組み込まれたアーティスト自らが異議を唱える、といった自己矛盾を底流に持ち続けてきたのもまた、ロックンロールの類稀な特性といえる。
第二の変化として、初期のロックンロールがテネシー州メンフィスやニューメキシコ州クローヴィスなどの南部の地方都市からニューヨークに移ったことである。前述の音楽出版社がニューヨークに設立された為である。
これらの音楽出版社の多くが、ブロードウェイのブリル・ビルディングという建物に入居していた為、この動きを“ブリル・ビルディング・サウンド”と呼ぶ。ブリル・ビルディング・サウンドの主なアーティストは、ニール・セダカ、ジーン・ピットニー、ボビー・ヴィーなどである。しかし、これら洗練された音楽をロックンロールを見ない向きも多い。
尚、スナッフ・ギャレットやフィル・スペクターなどのロサンゼルスのプロデューサーは、ニューヨークの音楽出版社で楽曲を買い付けて、ロサンゼルスの有能なスタジオ・ミュージシャンを使ってレコーディングを行うという手法を確立した。これが、ロサンゼルスをロックンロールのもうひとつの中心地にする下地を作った。
しかし、こうした音楽産業の変化に伴う「ロックンロール産業」の商業化とあわせ、主要ミュージシャンが徴兵・死亡・懲役などで次々とシーンを去ったことからアメリカでのロックンロールは次第にその勢いを失っていく。一方イギリスでは、これらのロックンロールやブルース、R&Bに影響を受けたミュージシャンが登場し始め、ロックンロール/ロックの主要な舞台はイギリスに移り、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスに受け継がれていくこととなる。
[編集] 追記
一般的には、1950年代半ばに発表された、ビル・ヘイリーのロック・アラウンド・ザ・クロック、エルビス・プレスリーのハートブレイク・ホテルなどが、こういった音楽の成立例として挙げられることが多い。しかし、演奏形態自体が確立される前であり、バック演奏を担当するミュージシャン(演奏家)たちは、ジャズ系ミュージシャンであることが多かった。よって、現在の感覚で聞くと、演奏がヘビーなジャズ風に聞こえる事も少なくない。
また、通常、黒人ミュージシャンがこの種の音楽を演奏している場合は、「リズム・アンド・ブルース」と呼ばれることが多く、リトル・リチャードやボ・ディドリーもそうした述懐をしている。しかしながら、前段落とほぼ同時期に、エレキギターを弾きながら歌っていたチャック・ベリーの、ロール・オーヴァー・ベートーヴェンやジョニー・B・グッド等は、ブルーススケール(音階)の使用頻度が少なく、白人大衆音楽的に洗練されていたため(曲だけを聴いただけで彼を白人と勘違いしていた人もいたという。)、主にロックンロールとして分類されている。
[編集] 起源における社会背景
19世紀後半におきたジャガイモ飢饉により、アメリカ移住を余儀なくされたアイルランド人は、自由の国アメリカにおいて黒人奴隷と同じような扱いをうけた。そして、黒人音楽とケルト音楽が融合してロックンロールが生まれたとも言われている。つまり、ロックンロールは根本的に「自由の国アメリカ」における自由獲得運動という面が指摘されることもある。
[編集] 主なアーティスト
- エルヴィス・プレスリー
- チャック・ベリー
- ジェリー・リー・ルイス
- ビル・ヘイリー
- ロイ・オービソン
- ボ・ディドリー
- リトル・リチャード
- バディ・ホリー
- ジーン・ヴィンセント
- エディ・コクラン
- デュアン・エディ
- オーティス・ブラックウェル
- アイク・ターナー
- リッキー・ネルソン
- エヴァリー・ブラザーズ
- ニール・セダカ
- ジーン・ピットニー
- ボビー・ヴィー
- スティーヴ・ローレンス