武蔵野操車場
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武蔵野操車場(むさしのそうしゃじょう)は、かつて埼玉県三郷市および北葛飾郡吉川町(現・吉川市)にあった貨物列車用の操車場(ヤード)である。
武蔵野線が開通した1年半後の1974年10月1日、武蔵野線吉川駅と三郷駅の間に日本最大(全長5.2km、最大幅約350m)の操車場として誕生した。当時最新式を誇ったYACS(Yard Automatic Control System)を採用することによって自動化された操車場を目指していた。貨車の仕分け・組成はコンピュータで処理され、入場してくる列車の機関車及び貨車番号のカメラによる読み取りとデータ化、入力した貨車番号や行き先等のデータによる仕分け作業の自動化が行われ、大幅な省力化を実現した。貨車組み替えの際も、無線操縦の機関車によってハンプと呼ばれる坂に貨車の押し上げ分離を行い、自動的にポイントを切り替えて目的別に貨車を組み替える。また、速度検出装置とリターダ(減速装置)を使用することによって貨車を連結する速度を一定以下に抑えるようにブレーキをかける等、人手を使わない最新鋭のシステムを誇っていた。 しかし、当時の国鉄の経営悪化等の影響により1984年2月1日に廃止された。(→こちらを参照)
廃止後の1985年、沿線人口の増加により吉川~三郷間に新三郷駅が開業したが、武蔵野操車場内に線路等がそのまま残っている状態のため操車場を挟む形となってしまい、下りホーム(西船橋方面)と上りホーム(府中本町方面)が約350m離れていた。その後線路が取り除かれ、1999年に上りホームが下りホーム側に移動した。 現在でも、三郷駅側に多数のさびた線路が残っており、当時の面影を偲ばせる。
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[編集] 今後の動向
廃止されて以後、跡地は現在の国鉄清算事業本部に引き継がれたが、開発はしばらく進まなかった。 しかし、最近になって進展も見られるようになった。
- 三郷市域(約51.1ha)
2006年7月、跡地の競争入札が行われ三井不動産が落札した。 三郷市域では跡地を12の区画に分ける計画となっており、このうち商業誘致ゾーン(約11.5ha)にはららぽーと、生活利便ゾーン(約9.1ha)の一部にイケアの出店が報道されている。
- 吉川市域(約30ha)
2006年11月現在、跡地の売却に向けて準備を行っている。 吉川市域では新たに吉川新駅(仮称)を設置し、それを中心にして開発する計画である。 (吉川新駅新設は計画段階のため、実際に設置するかは未定であるが、最近、計画案が発表されている。)