浅草オペラ
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浅草オペラ(あさくさおぺら)とは、1917年から1923年の関東大震災の頃まで、東京の浅草で上演され、人気を博したオペラ。第一次世界大戦後の好況を背景に、日本国内におけるオペラの大衆化に大きな役割を果たした。
1916年に帝国劇場(帝劇)洋劇部が解散すると、その指導にあたっていたイタリア人演劇家ローシー(Giovanni Vittorio Rossi)は赤坂にオペラ劇場ローヤル館を創設するが、興行的な問題や内部の路線対立から1年あまりで解散に追い込まれてしまう。この帝劇やローヤル館の残党たちが、日本館など浅草公園六区(浅草寺西側の興行街)の舞台を中心にオペラの上演活動を始めた。
この上演に、舞踊家の石井漠、沢モリノ、高田雅夫、高田せい子、歌手の安藤文子、清水金太郎、田谷力三、原信子、羽衣歌子らが加わり、浅草オペラは活況を呈し、やがて一大ブームとなった。とりわけカルメン、椿姫、天国と地獄など、通俗的な場面が人気を博した。「コロッケの歌」も浅草オペラからヒットした曲である。浅草オペラの熱狂的なファンはペラゴロ(オペラ+ゴロツキ)とも呼ばれた。
しかし、関東大震災では浅草地区が壊滅的な被害を被り、大道具、小道具や楽譜類が消失、劇場も使用不能となったため、浅草での上演は行えなくなり、旅興行や浅草以外での東京公演を行なった。だが、田谷力三らが別の歌劇団を結成したり、上演内容が貧弱になったりしたため、関心が薄れ、1925年10月の浅草劇場での上演を最後に消滅した。
2005年に、東京歌劇座が浅草SHOWホールで、80年ぶりに復活上演を行なった。