滝澤正光
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滝澤正光(たきざわ まさみつ、1960年3月21日 - )は日本の競輪選手。千葉県八千代市出身。日本競輪学校第43期卒業。日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は長岡弘臣。初出走は1979年4月8日、大津びわこ競輪場。初勝利も同レース。血液型はB型。
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[編集] 戦績
千葉県立八千代高等学校時代はバレーボールの選手。競輪ファンだった父の影響を受け、競輪学校を適性試験で受験し合格する。1979年4月1日に選手登録。デビュー後はしばらく思うように勝てなかったが、人並み外れた練習量をこなすことにより徐々に力をつけていった。
その頃の競輪界は中野浩一の全盛期で、同じ九州の井上茂徳と共に特別競輪のタイトルを分け合う状態が続いていた。それに対抗するため東京の山口国男が中心となり、弟の山口健治、尾崎雅彦、清嶋彰一らと千葉の吉井秀仁、滝澤正光らに特別競輪において東京と千葉で共闘し、中野ら九州勢を倒すことを呼びかけた。
東京と千葉は自転車競技会の管轄が違うので本来ならば共闘はありえないが、千葉県の松戸競輪場は東京北東部の選手も所属してる事から交流があり、彼らが特別競輪前の合宿などで館山市を走る房総フラワーラインという道路をよくロード練習で利用していたことから、この共闘団結は自然に「フラワーライン」と呼ばれるようになった。滝澤はこのフラワーラインの中心的な役割を担うようになる。
しかし1980年初出場のオールスター競輪で準決勝に進み一流選手の仲間入りを果たした後も中野浩一の壁は厚く、その先行は中野に通用せず、捲られ続けた。1983年の競輪祭決勝でも中野に捲られ3着。そして1984年の千葉競輪場での日本選手権競輪でフラワーラインの連携が実ってデビュー5年目にしてついに中野を倒し、初タイトルを手に入れた。優勝インタビューは感極まって落涙、言葉にならず叫ぶように『競輪選手になってよかった。!!』と言うのがやっとだった。
その後も滝澤はますますその脚力に磨きをかけ、フラワーラインの他選手の援護もあってタイトルを量産していった。特に1987年は13場所連続優勝に加え特別競輪の3連覇、KEIRINグランプリ獲得と、その年の獲得賞金額(1億1400万円)は当時プロ野球最高年俸の落合博満を抜いて全プロスポーツ界最高の金額であった。
やがて選手勢力の変化などによりフラワーラインは自然解消していったが、滝澤の勢いは衰えることなく、1990年11月27日小倉競輪場での競輪祭を制したことで、井上茂徳以来史上2人目となる特別競輪全冠制覇(グランドスラム・当時は5冠)を成し遂げた。1992年には最も得意としていた高松宮杯競輪で5回目の優勝を果たすが、このレースの翌日に2着だった中野浩一が引退を発表したため、3着だった井上茂徳と共に初めて表彰台で3人が並んだことは、自らが中野・井上・滝澤のいわゆる「3強時代」に引導を渡すことにもなった。
45歳を超えた現在でもS級の選手として活躍し、「競輪史上最強の選手」の評価を得ている。
[編集] 主な獲得タイトルと記録
- 1984年 - 日本選手権競輪(千葉競輪場)
- 1985年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 1986年 - 日本選手権競輪(平塚競輪場)、高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 1987年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)、全日本選抜競輪(京都向日町競輪場)、オールスター競輪(宇都宮競輪場)、KEIRINグランプリ'87(平塚競輪場)
- 1988年 - 日本選手権競輪(立川競輪場)
- 1989年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 1990年 - オールスター競輪(宇都宮競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 1992年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 1993年 - KEIRINグランプリ'93(立川競輪場)
- 年間賞金王4回 - 1985年、1986年、1987年、1988年
- S級年間最多勝利数(80戦64勝) - 1986年
[編集] 競走スタイル
デビュー時から果敢に先頭で走る徹底先行に徹し、最後の直線では力を入れるためか首を上げる独特のフォームでペダルを踏み込んでいる。最初の頃には後ろの選手に捲られたり追い込まれたりすることが多かったが、いつの間にか相手がどれだけ強かろうとも逃げ切ってしまうだけの脚力を身に付けていた。また他の選手との並走や追走についてもほとんど苦にせず、全てにおいてパワフルな走りと、滝澤自身の大柄な肉体から連想されたのか、いつしか他の選手やファンからは「怪物」と呼ばれるようになった。
ゆえに脚力が衰えて追込に回る数も増え、特別競輪の一線級で走ることが少なくなった現在でもその人気は絶大で、最近では後輩の選手やファンからは、尊敬の意味もこめて「滝澤先生」とか「先生」と呼ばれることが多い。
滝沢自身は、自らの先行を形容するに『朝まで走っても差しきれない。』というフレーズが気に入っていた。
彼はその経歴や風貌からは一見想像がつかないような、温厚な性格と謙虚な姿勢の持ち主であり、「競輪界随一の人格者」としても知られる。練習に真剣に取り組む真摯な態度も合わさり、他の選手やファンからの人望はことの他厚く、「彼が出場する」というだけでファンにその競輪開催に行きたくさせる選手の一人である。ただ、意外なことに滝澤はオールスターのファン投票で1位になったことが無い。
[編集] 彼をテーマにした漫画作品
- もがけ!100万馬力 -怪物・滝澤正光-(作・青柳俊、画・近藤良秋 ヤングチャンピオンコミックス 秋田書店)
- 週刊モーニング、イブニング(共に講談社)の田中誠作の競輪漫画、「ギャンブルレーサー」には第1巻第1話から描かれている。