田辺製薬
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田辺製薬株式会社(たなべせいやくかぶしきかいしゃ)は、日本の医薬品メーカーの一つ。通称「タナベ」。
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[編集] 沿革
- 1678年 田邊屋五兵衛が大阪土佐堀に「たなべや薬」を看板に薬種問屋として創業する。
- 1933年 個人組織であった田邊五兵衛商店を株式会社に改組する。
- 1943年 社名を田邊(辺)製薬株式会社に変更する。
- 1950年 抗結核薬「ニッパス」を発売する。
- 1962年 台湾に台湾田辺製薬股份有限公司を設立する。
- 1970年 アメリカのカリフォルニア州サンディエゴにタナベU.S.A.社を設立する。インドネシアのバンドンにタナベ・アバディ社(2003年6月に社名をタナベインドネシア社に変更する)を設立する。
- 1972年 ベルギーのブリュッセルにタナベヨーロッパ社を設立する。カルシウム拮抗剤「ヘルベッサー」発売。
- 1987年 台湾に台田薬品股份有限公司を設立する。
- 1990年 アメリカのカリフォルニア州サンディエゴにタナベ・リサーチ・ラボラトリーズU.S.A.社を設立する。
- 1993年 中国の天津市に天津田辺製薬有限公司を設立する。高血圧症治療剤「タナトリル」発売。
- 1996年 マレーシアにタナベセイヤクマレーシア社を設立する。
- 2000年 アメリカのニュージャージー州ハッケンサックに米国内グループの持株会社「タナベホールディングアメリカ社」を設立する。
- 2000年 脊髄小脳変性症治療剤「セレジスト」発売。
- 2001年 9月に大正製薬と共同持株会社「大正田辺ファルマグループ」を設立し、両社を傘下に入れるという経営統合が発表が行われたが、医薬品事業の主導権で両社間で争いとなり、2001年12月に経営統合が白紙(破談)となる。
- 2002年 5月 米国のベンチャー医薬品会社から導入した、日本初の抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤(クローン病・リウマチ治療薬)「レミケード」を発売。動物薬事業を大日本製薬(現・大日本住友製薬)に営業譲渡する。
- 2003年 アメリカのニュージャージー州ハッケンサックにタナベ・ファーマ・デベロップメント・アメリカ・エルエルシーを設立する。
- ※なお、現在東京田辺製薬(→その後三菱東京製薬→三菱ウェルファーマ)との資本関係は無い。同社は1900年代初頭に田邊五兵衛商店(現田辺製薬)から田邊元三郎商店として独立し、その後東京田辺製薬と改組した。一時期、田辺-東京田辺間で東日本・西日本の営業地域分けを行っていたこともある。
だが2007年1月、田辺製薬と三菱ウェルファーマが合併する方針であると報じられた。
- 2007年 10月 田辺製薬を存続会社として三菱ウェルファーマを吸収合併し、田辺三菱製薬株式会社(仮称)が発足(予定)。
[編集] 主な商品
- アスパラドリンク
- タナベ胃腸薬
- ナンパオ
- スマートアイ
- フルコートF など
医療用
- アスパラK
- タナトリル
- ヘルベッサー
- サアミオン
- フルコート
- メインテート
- レミケード
- ガストローム
- タリオン
- セレジスト
[編集] 関連項目
- 八木治郎ショー
- 八木治郎ショー・いい朝8時→すてきな出逢い いい朝8時(放送開始から10年以上冠スポンサー(30秒×3)を務めてたが、その後通常スポンサー(30秒×2)に縮小し、1994年3月末で降板した。)
- 雨宮アスパラドリンクRX7
- やなせたかし(アンパンマン作者)が以前広告部に在籍していた。
- 堺ブレイザーズ アスパラドリンクがスポンサーに付いている。
- 日本生命球場 近鉄バファローズ本拠地時代、バックスクリーンにアスパラの広告を掲げていた
- 田辺製薬サッカー部 1950年代の実業団サッカー界の強豪。
- ハニホー・ヘニハー(イラン出身の元外国人タレント。アスパラドリンクのコマーシャルに出演していた)