白ロシア・ソビエト社会主義共和国
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白ロシア・ソビエト社会主義共和国(はくロシア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ベロルシア・ソビエト社会主義共和国、ロシア語:Белору́сская Сове́тская Социалисти́ческая Респу́блика、ベラルーシ語:Беларуская Савецкая Сацыялістычная Рэспубліка、英語:Byelorussian Soviet Socialist Republic)は、ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国のひとつ。1922年のソビエト社会主義共和国連邦結成時におけるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国及び、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国とならぶ4つの共和国のひとつである。日本では白ロシア共和国の略称でも知られていた。
なお、本来のロシア語の「ベロルシヤ」(Белоруссияビラルーッスィヤ)のカタカナ転写が「ベロルシア」(当初「ベロルシヤ」)、日本語訳が「白ロシア」や「ベロロシア」(「白いロシア」の意味)、「ベロルシヤ」のベラルーシ語化したものが「ベラルーシ」(Беларусьビェラルースィ)で、現代ではこのベラルーシ語表記がロシア語にも採用されている。従って、「ベロルシア」、「白ロシア」、「ベラルーシ」はすべて同じ意味の単語で、政治的な理由や原語の表記上の問題で違いが出ているものである。
面積: 207,6 km²
人口: 897,000人 (1969年統計)
民族構成 (1959年):
都市:
[編集] 歴史
第一次世界大戦以前はロシア帝国の一部であった白ロシアが最初に国家を形成したのは、1918年3月25日の独立表明によってで、ベラルーシ人民共和国(ベラルーシ国民共和国)w:Belarus National Republicが成立した。しかし、この共和国は帝政ドイツ軍が撤退した後に崩壊し、短命に終わった。
1919年には、ロシアのボリシェヴィキ・ソビエト勢力の後押しで白ロシア・ソビエト社会主義共和国が成立した。その後、リトアニアと合併してリトアニア・白ロシア・ソビエト社会主義共和国w:Lithuanian-Byelorussian Soviet Socialist Republicが成立。これは、歴史的に白ロシアの地をリトアニア大公国が統治していたことに由来する。しかしながら、1921年に終結したポーランド・ソビエト戦争を経て、白ロシアの国土はポーランドと白ロシア共和国で分割された。
その後、1922年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国やウクライナ社会主義ソビエト共和国とともにソビエト社会主義共和国連邦を結成した。
1939年9月1日ナチス・ドイツがポーランドに侵攻すると、スターリンは、独ソ不可侵条約に基づき軍をポーランド東部に進め、ソ連軍占領地のうち本来白ロシアの地であったとされた地域を白ロシア共和国に組み込んだ。
第二次世界大戦後、白ロシア共和国は、ソビエト連邦構成国として国際連合創設に参加し、ソ連とは別にウクライナ共和国とともに国連加盟国として国連総会に議席を持った。
1990年7月27日に独立宣言を行い、1991年ソ連8月クーデターが失敗に終わり、同年8月25日にソ連からの独立が承認された。9月15日国名を白ロシア共和国からベラルーシ共和国と改めた。12月8日スタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長はエリツィン・ロシア大統領とクラフチュク・ウクライナ大統領とベロヴェーシの森で会談しでソビエト連邦の解体を宣言、独立国家共同体(СНГ;CIS) 創設に関する協定が締結された。
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