篠山紀信
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篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・-みちのぶ、1940年12月3日 -)は、「東京都新宿区柏木町(後述)」出身の写真家。
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[編集] 経歴
真言宗円照寺の住職の次男。新宿区立淀橋第四小学校、私立芝中学校・高等学校を経て、日本大学芸術学部写真学科及び東京綜合写真専門学校を卒業。写真家沢渡朔と同期。妻は元アイドル歌手の南沙織(本名=篠山明美)。俳優の篠山輝信は次男。
在学中より新進写真家として頭角を現し、61年にライトパブリシティに就職。APA賞等数々の賞を受賞。花々しいデビューを飾る。 初期の作品には『Death Valley』『Twins』『Nude』など傑作が多い。 ジョン・レノンのラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影はあまり知られていないが彼の作品である。
現在、その作品数の多さ、ジャンルの多様さはヌードから歌舞伎まで他の写真家を遥かに凌ぐ。山口百恵、松田聖子ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られ、『週刊朝日』『週刊現代』の表紙写真も担当していた。デジタルカメラを用いて撮影した場合は、「シノヤマキシン」(2000年頃)「しのやまきしん」「digi_KISHIN」(2003年頃)と言う別名義を使用する時もある。時代の節目で、いつの時代も最良の時間と場所でカメラを構えている。
女性を被写体とした多数のヌード写真を撮影している。そして撮影したヌード写真については、女性の事務所サイドから写真の使用を止められた場合ネガを持ち帰り、自宅で保管する。後にその女性が、芸能界で所謂「落ち目」になったときに、秘蔵ヌードが見つかったことにして『今のヌード』と『昔のネガ』を持ち出し、その二つを一冊の写真集にして発売することがある(例:水沢アキ、杉田かおる)。 他人には脱ぐことを求めるが自分の妻南沙織のヌードは発表していない。
月刊テレビ情報誌『B.L.T.』の表紙、及び巻頭グラビアを毎号担当。被写体のヌードはないが、寝そべって、胸の谷間を見せるポーズなどほかの雑誌よりは露出度が高いグラビアを撮影している。
篠山の企画はたいていの場合、スマートであるとともに、ヒットし(一般受けし)、絶大な人気を誇るため(ただし、写真作品1枚1枚の良し悪しによるというよりは、その企画(発想)自体が世の中に受けているという面は否定できない)、同業者やどちらかといえば熱心なまたはマニアックな写真ファンには反感を持たれることも多い。
話題性のみを追求しているともとれるその作品制作の姿勢は、写真評論家や写真批評家による評価を拒絶するかのようであり、そのことから、日本写真史上で篠山を位置づけることには、大きな困難が伴なっている。
彼は常に「今」を感じ、時代と共に変わり続けるという身軽なスタンス(時代の複写)の写真家である。定義付ける事が困難なのは、写真における大衆性がしばしば批判的に捉えられる日本の慣習によるものである。商業的なイメージのある一方で、歌舞伎役者5代目坂東玉三郎を約30年以上撮り続け、文化的側面で非常に貴重な写真も数多く残している。近年は彼のみならず、歌舞伎界の花形を撮り続けている。
なお、自決直前の三島由紀夫を被写体とした写真集(『男の死』)は、当初公表される予定であったが、1970年の三島の自決事件の影響に加え、同じく被写体となっていた横尾忠則の反対により、未だ正式な刊行には至っていない。
2006年4月25日、事務所に空き巣が入り現金盗難の被害にあった。
[編集] 主な作品
- 死の谷
- TWINS
- 決闘写真論(共著中平卓馬)
- NUDE 篠山紀信
- オレレ・オララ
- 晴れた日
- スター106人
- 激写・135人の女ともだち
- 神話少女(栗山千明)
- 少女たちのオキナワ
- white room(本木雅弘)
- RIONA(葉月里緒菜)
- 坂東玉三郎
- シルクロード
- 建築行脚(共著は建築家磯崎新)
- シノラマ・ニューヨーク
- Water Fruit(樋口可南子)
- サンタフェ(Santa Fe、宮沢りえ)
- Tokyo Nude
- 少女革命
- 東京未来世紀
- 人間関係
- アカルイハダカ
- かでなれおん
- JUMP & CRY(AKB48)
- 赤いスイートピー(松田聖子)
- 『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真(ジョン・レノン&オノ・ヨーコ)
- 『週刊現代』では、三島由紀夫のグラビアも撮影
[編集] ヌードモデル
- あ
- か
- さ
- た
- な
- は
- ま
- や
- ゆき
- 山本奈津子
[編集] 主なTV出演
- 2006年5月3日(水)「とくダネ!」(フジテレビ系):生出演あり(写真集「六本木ヒルズ×篠山紀信」刊行(4月25日)およびこれにちなんだ六本木ヒルズでの写真展(4月25日-5月14日)の紹介)
[編集] 出身地
篠山は[1]などに見られるように、「1940年」に「東京都新宿区柏木町」に生まれたとの表現がなされている。しかし、新宿区が発足したのは1947年、東京都発足は1943年であり、1940年当時の柏木地区は東京府東京市の淀橋区に属していた。また、「柏木町」という町名は過去に存在しない。旧柏木一丁目~五丁目(現在の西新宿地区の一部と北新宿地区)のことを意味すると考えられるが、その周辺を含む柏木地区を意味する可能性もある。