坂東玉三郎 (5代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五代目坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、昭和25年(1950年4月25日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優、映画監督、演出家。本名は守田伸一(もりた しんいち 旧姓、楡原<にれはら>)、通名守田親市。
歌舞伎界を背負って立つ立女方。すでに評価の高い舞台での美しさと存在感に加え、六代目中村歌右衛門亡き後、かつて歌右衛門が演じた数々の大役を継承して新しい境地を確立している。若くしてニューヨークメトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。その他にも、演劇全般に関する私塾「コンセルヴァトリー」の開校や、熊本の八千代座保存への協力など演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく十代半ばよりレッスンをうけたバレエの実力もプロバレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身がいちバレリーナとしての評価にあずかるほどのものである。近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけいている。
五代目玉三郎は歌舞伎俳優家の出身でなく、小児麻痺の影響で左利き(後遺症はリハビリで克服)で女形としては破格の長身(公称173センチ、かぶり物などをすると190センチ台になる)、芸風や活動方針を巡り六代目歌右衛門との永年の確執(後年和解)などというハンデにめげず精進を続け、まったく衰えない容姿を持ちながら今日の地位を築きあげた、当代歌舞伎界の奇跡の人である。
目次 |
[編集] 年譜
- 1950年4月25日 東京都に生まれる。生家は料亭。
- 1956年 小児麻痺後遺症のリハビリにと舞踊を習う。稽古に通った縁から守田勘弥 (14代目)の部屋子となる。
- 1957年12月 東横ホールにて『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の小太郎で坂東喜の字を名のり初舞台。
- 1964年6月 守田勘弥 (14代目)の養子となり、歌舞伎座にて『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名。
- 1969年 三島由紀夫の舞台『椿説弓張月』(白縫姫役)に抜擢。
- 1970年 『鳴神』で市川海老蔵と共演し海老玉コンビとして話題に。片岡孝夫とも度々共演し、孝玉コンビも人気を博した。
- 1984年5月 メトロポリタン歌劇場100周年記念公演に招聘され出演。
- 1986年 舞台『ロミオとジュリエット』を初演出。
- 1988年 ヨーヨー・マらの演奏によるラヴェル「ピアノ三重奏曲」で創作舞踊を上演。
- 1988年11月 モーリス・ベジャールの振付けにより、パトリック・デュポン、ジョルジュ・ドンらと共演。
- 1991年 映画『外科室』を初監督。
- 1994年5月 ベジャールとの共演で「リヤ王~コーデリヤの死」を初演。
- 1996年 ヨーヨー・マの演奏によるバッハ「無伴奏チェロ組曲」を映像収録した「希望への苦闘」が、ダンススクリーン96(リヨン)でグランプリを受賞。
[編集] 受賞歴
- 1970年3月 芸術選奨新人賞
- 1971年 第8回ゴールデン・アロー賞演劇賞(1978年=第15回にも同賞受賞)
- 1981年 松尾芸能賞優秀賞
- 1985年1月 第三回都民文化栄誉賞
- 1991年 フランスシュバリエ勲章・中国文化大学名誉文学博士号
- 1992年 泉鏡花文学賞特別賞
[編集] 主な出演作
[編集] 歌舞伎
[編集] 海外公演
- 1982年7月 アメリカ公演
- 1984年5月 アメリカ公演(ニューヨークメトロポリタン歌劇場)
- 1985年7月 アメリカ公演
- 1986年6月 パリ公演
- 1989年10月 ヨーロッパ公演
- 1991年10月 イギリス公演
- 1992年4月 ポーランド公演
[編集] 歌舞伎以外の舞台
[編集] 映画
[編集] 主な演出作
- ロミオとジュリエット(1986年)
- ガラスの仮面
- なよたけ
- 黒蜥蜴
- 海神別荘
[編集] 主な監督作
- 外科室(1991年)
- 夢の女
- 天守物語(1995年)