統制社会
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統制社会(とうせいしゃかい)とは、政府が国民の動向を監視し、外部からの情報を遮断することで成り立つ社会を指す。多数決を経ては、選択される自信のない権力者が好んで行う政策である。
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[編集] ソ連型社会主義
旧共産圏諸国は、あらゆる機関にKGBを配属していた。政府を批判する者があれば、すぐに通報された。旧共産圏で、アネクドートが発達したのは、政府を直接批判できなかったためである。ニュースと言えば、自国の革命指導者を称える内容か、計画経済の成果を誇示する内容か、資本主義国家における反政府運動を報道する内容ばかりとなった。事件・事故報道は、国民を不安にするとの理由で、原則として行われなかった。
戦後、故あってソ連に残留した日本人が、帰国したい旨モスクワ駐在日本大使館に手紙を出したところ、日本大使館からではなく、KGBから返事が来たという。また、1960年代に、日本の歌謡曲「恋の季節」をモンゴル語訳して流布した日本語教育専攻のモンゴル人教授が、KGBに逮捕されたという。当時は、ソ連の属国モンゴルと、日本の間に国交はなく、資本主義の敵性文化を流布させたと取られた。
選挙は、党が選定した唯一の候補に対する信任投票が行われた。秘密選挙の原則は行われず、信任なら無記入、不信任なら特設の記帳台に出向く、あるいは黒白投票制が採られ、政府に批判的な国民は、すぐに識別できるようになっていた。
外国人の入国は不可能ではなかったが、団体旅行に限られ、国民との接触は歓迎されなかった。
[編集] 北朝鮮
ソ連型社会主義の、統制社会を、極端に実現したのが、北朝鮮であった。
北朝鮮では、ラジオやテレビを購入した際、警察によりダイヤル・チャンネルが朝鮮中央放送に固定され、勝手に封印を解いたら処罰される。合法の範囲では、北朝鮮国民は、朝鮮労働党のプロパガンダにしか接することは出来ない。
外国人の入国は、団体旅行に限られ、外国人が国民を撮影しようとしたり、話し掛けようとした場合、案内員と呼ばれる外国人監視担当者に制止される。公用でない限り、国民は海外渡航は出来ないし、国内旅行ですら許可制である。
国際電話は、オペレーターを通せば、可能ということになっているが、実際には、繋いでもらえない。
インターネットも、国内のウェブサイトしか閲覧できないようになっている。
[編集] 江戸時代の日本
反共主義者の中には、統制社会が社会主義の特徴だと主張する者が多い。しかし、抑圧の度合いが高く、権力者が政権の維持に自信がない場合には、歴史的に広く行われてきた。
マルクス・レーニン主義が極端な監視社会を作るというならば、江戸時代の日本も極端な監視社会であった。
五人組制度は、江戸幕府に批判的な住民を、他の住民に密告させる目的で創設された。
鎖国により海外渡航は厳禁、漂流により外国船に救助された者は、海外情報が国内に流入しないよう監禁処分、通行手形に象徴されるように、国内旅行も許可制とされた。
開国により海外情報が流入し、幕府にとって脅威と考えられていた外様大名に幕府が滅ぼされた事実を考えれば、統制社会でない限り、農民に過度の納税の義務を課すことは不可能だったと言えよう。
[編集] 統制社会の必要性
ゴルバチョフは、あくまで体制内改革を想定していた。しかし、いったん資本主義の長所を取り入れ、情報統制を解除してしまうと、社会主義を望まない多数派の国民の声がうねりのように押し寄せてしまい、社会主義を幕引きせざるを得なくなった。
選択する自由や、判断する情報を与えては、国民から信任されることがないと感じている権力者は、統制社会を行うことになる。