総括制御
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総括制御(そうかつせいぎょ)は、鉄道車両の運行において、1人の運転手が複数の車両の動力を制御する制御方式の事。
総括制御が最初に試みられたのは電車で、フランク・J・スプレイグ(Frank Julian Sprague)がシカゴの高架鉄道用に1897年に開発したものであった。黎明期の電車における力行時の出力調整は、運転台のマスター・コントローラー内に搭載された複数の抵抗を、運転士がハンドルやレバー操作によりつなぎ変えることで、モーターにかかる電圧を段階的に変化させ速度を調整する、直接制御式が一般的であった。この方式は簡便であったが、コントローラーで扱える電流容量には制約があり、大出力モーターの制御や、複数車両の同時制御も困難であった。
スプレイグは、運転台上のコントローラー内部を、抵抗を繋ぎ変える指令を送るだけのスイッチとし、その指令を受けた各車の床下などに装備された主抵抗器が抵抗を繋ぎ変えるという方式にして、複数の電動車の同時制御を可能とした。前述の直接制御に対し、モーターにかかる電流を間接的にする事から間接制御式とも呼ばれる。
電車の総括制御は、都市鉄道の発展とともに進化した。1903年、ゼネラル・エレクトリックはニューヨーク地下鉄用に自動加速を行える総括制御装置を開発した。それ以前の電車の加速は運転手のコントローラーの切り替え速度に依存していた。ニューヨーク地下鉄は当初から長大編成の電車の運行を計画していたために、目分量で切り替えを行う事は、モーターや抵抗器の焼き付き、電力消費量を考えると適切ではなく、自動で加速を行う機構が必要とされたのである。電車技術が進展により、交流電車の制御、発電ブレーキや回生ブレーキの使用、弱め界磁制御などの制御方式の展開が行われるが、スペースが限られ、モーターが分散した電車でこういった制御が可能になったのは、総括制御方式が確立していたからに他ならない。こうしたメリットゆえ、総括制御を前提とした間接制御システムを備えた電車を導入する事は連結運転を行わない電鉄会社にとっても有利で、郊外を走行するため、高密度路線を除けば単行運転が主体であったインターアーバン路線でも盛んに採用された。
総括制御は、気動車や電気機関車、ディーゼル機関車にも採用された。気動車では、エンジンの回転力をスムーズに伝える変速機の改良が求められ、総括制御以前の気動車が機械式であったのに対し、総括制御の気動車ではエンジンの回転力を電気に変換し、電車と同様の方法でモーターで走行する電気式や、低速域での変速のショックが小さい液体式が多く採用された。機関車の総括制御は、電車と気動車のそれを大型、複雑化したものであるが、制御段数が細かい機関車においては様々な工夫がなされている。