西表島
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西表島(いりおもてじま)は、沖縄県八重山列島最大の島。面積は約289平方kmで、沖縄本島に次いで広い。島の人口は約2000人。行政区画は沖縄県八重山郡竹富町。
かつてはマラリアの島であり、そのために定住することが困難であった。開発が遅れたのもそのためである。
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[編集] 地勢
島の面積の90%は亜熱帯の自然林で覆われ、山の斜面・森林ともに海の間近にまで迫っており、平地はほとんどない。人の居住地は海岸線沿いのわずかな土地に限られる。また、島の面積の8割は国有林、同34.3%は西表国立公園(特別地域)、同8%は国設特別鳥獣保護区に指定されている。
[編集] 自然
島を構成する古見岳(標高470m)、テドウ山(標高441m)、御座岳(標高420m)の三峰は琉球列島全体の中でも屈指の標高を有する。そのため太古の海進期にも完全に水没することなく、結果として島の生物群は独特の生態系を維持したまま現在に到る。上記のような山は島の中央ではなくむしろ周辺部にあり、島全体が山で覆われるものの、中央が高いわけではない。仲間川と浦内川はいずれも沖縄県では大きな川で、共に島の端近くの山から流れて反対側に出る。
山奥から流れ出す浦内川は、上流ではマリウドゥの滝などの多くの景勝地と、下流の汽水域では広大なマングローブ群の林を形成する。その他にも海岸線の河口や内湾には多くの場所でマングローブが発達する。内陸はイタジイやウラジロガシを中心とする森林に覆われている。
特別天然記念物のカンムリワシ、イリオモテヤマネコ、天然記念物のセマルハコガメ、キシノウエトカゲ、サキシマハブ、サキシマスオウノキなど、珍しい動植物の宝庫である。
熱帯系の生物が多く、熱帯域の植物でミミモチシダ、ニッパヤシ、マヤプシキなどはこの島が北限になっている。八重山列島に固有の動植物も数多い。イリオモテヤマネコのように西表島固有のものはあるが、多くは石垣島と共通である。
イリオモテの名を持つ生物には、以下のようなものがある。
- 植物:イリオモテクマタケラン(ショウガ科)・イリオモテスミレ(スミレ科)・イリオモテソウ(アカネ科)・イリオモテトンボ・イリオモテヒメラン・イリオモテムヨウラン・イリオモテラン(ラン科)・イリオモテニシキソウ(トウダイグサ科)・イリオモテシャミセンヅル(カニクサ科)・イリオモテアザミ(キク科)・イリオモテウロコゼニゴケ
- 動物:イリオモテヤマネコ・ イリオモテコキクガシラコウモリ・イリオモテナンキングモ・イリオモテヒメグモモドキ・イリオモテエグリツトガ・イリオモテアオシャチホコ・イリオモテボタル・イリオモテトラカミキリ・イリオモテモリバッタ
- 菌類:イリオモテハナセミタケ・イリオモテセミタケ
その他、西表島だけに生息する固有種には以下のようなものがある。
- 動物:ショキタテナガエビ
[編集] 歴史
マラリア発生地であったため、古くからの集落はごく少ない。琉球王朝時代には何度か強制移民が行なわれたが、ほとんど失敗している。
大正末期から昭和初期にかけて、北部内離地区に炭鉱が開かれ、一時はかなり発展したが、第二次世界大戦中に次第に衰退した。
第二次世界大戦末期に、石垣島や波照間島の住民が強制的にこの地域に疎開を命じられ、この地で多くの住民がマラリアにかかり死亡した。これを戦争マラリアとよんでいる。
[編集] 観光
観光産業は住民経営の民宿や個人商店等があったが、近年上原地区(船浦港の西。浦内川にも近い)にてリゾート開発計画が浮上しており、その工事の一部の着工が強行されたことから、住民のみならず国内の有志もが原告に参加した「西表島リゾート開発差止訴訟」が2003年7月14日に那覇地方裁判所に提訴され、公判が始まっている。
[編集] 文化
- アカマタ・クロマタ
- 古見集落に伝わる祭事。全身を草で包まれ、赤と黒の面を着けた神様が山から下りてくる。写真撮影等は一切禁止されている。
- なお、同様のものが石垣島宮良、小浜島等にも伝わっている。
[編集] 主な観光名所
- 浦内川(遊覧船・カンピレー・マリュウドの滝)
- ピナイサーラの滝
- 日本最大のサキシマスオウノキ
- 星砂の浜(竹富島にも同様の浜が在る。竹富島の場合は、砂のとげの数が特に多いので太陽の砂とも呼ばれる)
[編集] 交通
立地の悪さと自然保護の観点から空港は存在せず、アクセスは専ら隣の石垣島からの定期船に頼る(北西から時計回りに、白浜港、上原港、大原港など)。島内の幹線道路は沖縄県道215号白浜南風見線が白浜地区から大原地区周辺まで島の東岸沿いを走り、内陸や西岸経由で車が通れる道路はない。なお、北西部の端にある集落の船浮(ふなうき)には、道路が続いておらず、島内の他地域との交通手段は船である。
[編集] 島へのアクセス
- 大原港
- 八重山観光フェリー
- 安栄観光
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要35分 朝から夕方まで10往復就航
※ほか、貨客船(カーフェリー)が週3便就航 - - 波照間島 波照間島発の1日1往復のみ不定期で就航
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要35分 朝から夕方まで10往復就航
- 石垣島ドリーム観光 ※2007年就航予定
- - 石垣島・石垣港(予定)
- 上原港
- 八重山観光フェリー
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要40分 朝から夕方まで5-8往復就航
※ほか、貨客船(カーフェリー)が週3便就航 - - 鳩間島 貨客船(カーフェリー)のみ、鳩間島発が週3便就航(上原港→鳩間島便は無い)
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要40分 朝から夕方まで5-8往復就航
- 安栄観光
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要40分 朝から夕方まで9往復就航
※ほか、貨客船(カーフェリー)が週3便就航 - - 鳩間島 1日2往復就航
※ほか、貨客船(カーフェリー)が週1-2便就航
- - 石垣島・石垣港(離島桟橋) 所要40分 朝から夕方まで9往復就航
[編集] 島内の路線バス等
1日6往復
- 白浜-祖納-星立-浦内川-ニラカナイ-月ヶ浜入口-住吉-星砂の浜-中野-上原小学校前-上原-ヒナイ館前-船浦-西表島温泉-由布水牛車乗場-由布入口-古見-大富-大原-大原港-大原診察所前-豊原
- 船浮海運
- 白浜港 - 船浮港 ※道路がない船浮集落を結んでいる
[編集] 道路
[編集] 放送
[編集] ラジオ
- 1990年までNHKの中継局が石垣島にあるだけで山を挟んだ島西部では受信しにくく、民放はほとんど受信不可能だった(2003年までRBCiラジオは宮古島のみ中継局があったが、ROKは沖縄本島にある親局のみだった)。
- AM放送は夜間に外国からの混信で受信困難であるため、中継局はすべてFM波で放送している。NHKが1991年11月にラジオ第1が、2003年10月にラジオ第2がFMによる中継局を設置(特にラジオ第2は1972年に沖縄の本土復帰で沖縄県内3ヶ所に設置して以来31年ぶり)。そして2004年4月には琉球放送(RBCiラジオ)とラジオ沖縄(ROK)がFMによる中継局を設置した。
- FM放送はNHKFM、FM沖縄ともに中継局を設置していない。なおNHKFMは石垣島にある中継局(87.0MHZ)から受信可能だが(島西部では受信困難)、FM沖縄は島内や石垣島も含め先島諸島で受信不可。
- ラジオ中継局周波数一覧(周波数単位はMHZ)
所在地(出力) | NHK1 | NHK2 | RBCi | ROK |
---|---|---|---|---|
西表島祖納(10W) | 85.2 | 83.1 | 83.9 | 81.5 |
[編集] テレビジョン
- NHKと琉球放送(RBC)、沖縄テレビ(OTV)が中継局を設置。1967年にNHKの前身である沖縄放送協会(OHK)が開局、1976年にようやく沖縄本島・日本本土と同時放送となったものの長年NHKしか受信できなかった(島のみならず竹富町内すべて)。そして1993年12月にようやく民放(RBC・OTV)が開局した。
- NHKは石垣島北部の川平中継局から受信し、さらに与那国島へ電波を送る必要があるため(民放も同じ)、100Wで送信していたが、1998年に送信方法が改善し、与那国局はVHFからUHFにチャンネル変更したため、西表祖納局の出力をこれまでの1/3の30Wに減力した(民放はUHFなため100Wのまま)。
- 琉球朝日放送(QAB)は島内や石垣島も含め、先島諸島に中継局が未設置なため受信不可。このためテレビ朝日系の番組は民教協の番組(生きる×2・いきいき!夢キラリ、いずれもRBC・OTVで放送)を除き地上波では見られない。
- 2006年に沖縄県内でも開始された地上デジタルテレビジョン放送、島東部で受信できる石垣中継局は2008年、西部の祖納中継局は2009年に開局予定であるが、いずれもNHKのみ。民放は今のところ検討中で具体的な目処は立っていない(その場合現在アナログでは未放送のQABではデジタル新局として開局予定)。
- テレビ中継局周波数一覧
所在地 | 出力 | 総合 | 教育 | RBC | OTV |
---|---|---|---|---|---|
西表島祖納 | NHK30W・民放100W | 8 | 1 | 23 | 25 |