連戦
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連戦(れんせん)
連 戦(れん せん、連 戰。ピンイン:Lián Zhàn 1936年8月27日 - )は中華民国(台湾)の政治家。字は永平。2000年より中国国民党の主席。副総統・行政院院長・台湾省主席などを務めた。
出生は西安だが、父親である連震東が台湾台南市出身だったため、台湾省籍を持つ。母親の趙蘭坤は瀋陽出身の中国人。俗に言う半山である。「連戦」という名前の由来は当時、国民政府と戦争状態だった日本に対して「連戦連勝」するよう祈念し、父親である連震東(後に台湾籍では初の内政部長に就任)が名づけたものである。もし連戦に弟が生まれた場合は「連勝」と名づける予定だったらしいが、それは果たせなかった。
台湾大学政治学部卒業後、1959年に米シカゴ大学へ留学。1965年政治学博士号を取得、コネチカット大学助教授を経て、68年台湾に帰国した。台湾大学教授、政治研究所主任を経て、75年に政界入り。国民党に籍を置き、交通部長、行政院副院長、外交部長、台湾省政府主席など、台湾政界の要職を歴任する。93年には国民党副主席に当選。行政院長も務める。96年には副総統に当選。
2000年、2004年と中華民国総統選挙に立候補したが、いずれも民進党の陳水扁候補に敗れた。この為連戦に批判的だった人、特に民進党支持者は名前の由来をもじり「連戦連敗」と揶揄した。
2005年、中国を訪問、胡錦濤中国共産党総書記と会談。中国国民党と中国共産党の会談は60年ぶり。李登輝達は、連戦を売国奴と批判した。
2006年、再度訪中し、胡錦濤総書記と4月16日に再会談した。
息子の連勝文は2005年の中国国民党党大会において中央常務委員に高得票で当選し、その職にある。
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