鈴木恵一 (スケート)
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鈴木恵一(すずき けいいち 1942年11月10日 - )は、日本スケート連盟理事、元スピードスケート選手。
樺太出身。1966年4月明治大学政経学部卒業後、国土計画に所属。1960年代後半には世界最高レベルの500mスペシャリストであり、世界記録を保持していたこともある。しかし、3回出場したオリンピックではいずれもメダルに届かず悲劇の選手として知られる。札幌オリンピックでは選手としてのピークは過ぎていたと評されるがリーダーシップと過去2回のオリンピック出場経験から選手団長に選ばれ選手宣誓もおこなっている。トリノオリンピックではスピードスケート日本代表監督であり、2006年10月現在は日本スケート連盟理事。
目次 |
[編集] 主な競技歴
- 1964年
- インスブルックオリンピック 500m 5位入賞(同着2位3人と0秒1差)、1500m 31位
- 第58回世界オールラウンドスピードスケート選手権大会(ヘルシンキ) 500m 優勝(41秒1)
- 1966年
- 第60回世界オールラウンドスピードスケート選手権大会(イェーテボリ)500m 2位(41秒2)
- 2月 - 第34回全日本スピードスケート選手権大会(軽井沢)500m、1500m 優勝
- 12月 - 第1回全日本選抜スピードスケート競技会(軽井沢)500m、1500m 優勝
- 1968年
- 1月28日 - ドイツ・インツェル競技会 500m 39秒3の世界新記録
- 2月 - グルノーブルオリンピック 500m 8位入賞(40秒8)、1500m 31位
- 2月 - 第62回世界オールラウンドスピードスケート選手権大会(イェーテボリ)500m 優勝 40秒3
- 3月 - 第35回全日本スピードスケート選手権大会 (軽井沢)500m 39秒2の世界新記録
- 1970年
- ISUスプリントスピードスケート選手権大会(アメリカ・ウエストアリス) 総合2位
- 3月 - 38秒50の世界新記録
- 1971年
- 札幌国際スポーツ大会(プレ五輪)500m(6位、5位)
[編集] 指導者歴他
[編集] 著書
- スピードスケート (講談社刊、1974年)
[編集] 外部リンク
- 鈴木恵一とは - はてなダイアリー
- 「驚異のシミズ」と紹介 日本の先駆者、鈴木恵一 - 共同通信社
- トリノ冬季五輪2006:毎日新聞
- 06/07 スピードスケート国際大会派遣選手選考基準について