銀河
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銀河(ぎんが、galaxy)は、数百億から数千億個の恒星や星間物質が重力的にまとまってできている天体である。小宇宙あるいは島宇宙ともいう。
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[編集] 銀河の観測史
夜空に見える天体には恒星や惑星などの点光源の天体と、それらとは異なって雲のように面積を持って広がった天体とがあることが古くから知られていた。後者には、現在で言うところの散開星団・球状星団・散光星雲・銀河など様々な天体が含まれているが、その正体は長く明らかになっておらず、星雲 (nebula) と総称されていた。
1600年代初めに望遠鏡が発明されると、イタリアのガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡で様々な天体を観察し、それまでの宇宙観を覆す多くの発見をした。その一つに、天の川が恒星の集団であることを発見したことが挙げられる。この数年後の1612年にはドイツのシモン・マリウスが我々の銀河系の隣の銀河であるアンドロメダ銀河 (M31) を初めて望遠鏡で観測しているが、当時の望遠鏡ではこの銀河の個々の星を分解することはできなかった。
1755年にはドイツのイマヌエル・カントが太陽系からの類推を元に、天の川はたくさんの恒星が重力で回転している天体で、これを内側から見ているために天球上で帯状に見えているとする説を提案した。さらにカントは、星雲のうちのいくつかは我々の天の川と同様の天体が遠方にあるものではないかとする指摘も行っている。
1764年から1784年にかけてフランスの彗星捜索家シャルル・メシエは、星雲と呼ばれていた雲状の天体を彗星と区別するためにメシエ・カタログと呼ばれる星雲のカタログを発表した。この時代でも、星雲はもっぱらその形態で分類されるにとどまり、その性質の違いや距離などについてはまだ分かっていなかった。
1788年にイギリスのウィリアム・ハーシェルは、夜空の星々の数をあらゆる方向について数え、暗い星ほど距離が遠いという仮定を用いて恒星の空間分布を求めようと試みた。その結果、恒星は天の川に近い領域ほど数が多いことを発見した。これによって、カントが唱えていた通り、天の川は我々の太陽系を含む円盤状の恒星集団(銀河系)であるらしいことが明らかになった。
1840年代にはイギリスのロス卿が口径72インチの大望遠鏡を建設し、これを用いて様々な天体のスケッチを残した。彼はりょうけん座の M51 が渦巻状の姿をしていることを発見した。彼は星雲の中に同様の渦巻状の天体が数多く存在すること、一方でそのような特徴を持たない楕円形のものもあることを発見した。
20世紀に入ると、ハーシェルの研究を引き継いで、我々の天の川の形とその中での太陽系の位置とを正確に決めようとする試みが行われた。1920年にはオランダのカプタインがハーシェルの手法をより洗練させた観測を行い、銀河系は直径約15kpcの楕円体で、太陽はそのほぼ中心にあるとする説を唱えた。一方、アメリカのシャプレーは球状星団の空間分布がいて座の方向に集中していることから、銀河系は直径約70kpcの平らな円盤で、太陽はそのはずれに位置すると主張した。実際には星間塵による光の吸収の効果を考慮していなかったため、銀河系の大きさについての推定はどちらも正しい値ではなかったが、太陽系が円盤状の銀河系のはずれにあるというシャプレーの描像は今日でも正しいとされている。
また20世紀には、ロス卿が見出した渦巻星雲や楕円型の星雲の正体も明らかにされた。1912年にはセファイドと呼ばれる変光星の絶対的な明るさと変光周期の間に一定の関係があることが発見されていた。この周期-光度関係を用いると、星団に含まれるセファイドを観測すれば星団までの距離が測定できることとなる。当時、いわゆる渦巻星雲が銀河系内の天体か銀河系外の天体かについては依然として明らかになっておらず、これをめぐって1920年にシャプレーとカーティスの間で公開論争が行われたほどであったが、1924年にハッブルがアンドロメダ銀河 (M31) の中にセファイドを発見し、それによってM31までの距離が約90万光年であると計算された(その後、セファイドに2つの種族があることが判明したため、この距離は現在では約230万光年に修正されている)。この値は当時知られていた銀河系の大きさに比べて十分大きな値であったため、M31が銀河系外にある天体であることが確定した。これによって、M31と同様の渦巻銀河は全て銀河系外の天体であるという描像が定着した。
このような歴史的事情を反映して、かつては銀河も星間ガスからなる星雲(nebula) も共に「星雲」と呼ばれ、両者を区別するために銀河系外星雲/銀河系内星雲などと呼ばれていた時期があったが、現在では両者は 銀河(galaxy) /星雲(nebula) として呼称の上からも明確に区別されるのが普通である。
1944年には、オランダのファン・デ・フルストによって、中性水素原子が波長21cmの電波(21cm線)を放射することが明らかにされた。この電波は星間吸収の影響を受けないため、これを用いて銀河系全体の水素ガスの分布と運動が調べられるようになった。その結果、我々の銀河系にも渦巻構造があることが明らかになった。現在では電波望遠鏡の発達により、銀河系外の銀河の水素ガスの分布も調べられている。
1970年代になると、水素の21cm電波観測から得られた銀河の回転速度が銀河の外縁部近くでも遅くなっていないことが分かり、電磁波で観測される銀河の質量をはるかにしのぐ質量が銀河全体に分布していることが明らかにされた。この「見えない質量」をダークマターと呼ぶ。ダークマターの正体については様々な説が出されているが現在も明らかになっていない。
[編集] 形態による銀河の分類
銀河の形態分類は1930年代にエドウィン・ハッブルによって確立された。彼の分類方法は現在でもハッブル分類として用いられている。主な種類として以下のような銀河がある。各々の銀河はその特徴によってさらに細分されている。
[編集] 銀河の構造
銀河の構造は渦巻銀河と楕円銀河で異なる。
渦巻銀河の場合、銀河本体はディスクと呼ばれる円盤からなり、中心の周りを差動回転している。ディスクには種族Iと呼ばれる恒星が多く含まれ、星間物質も多く存在する。一方、中心付近にはバルジと呼ばれるディスクよりもやや膨らんだ部分がある。バルジには種族IIと呼ばれる古くて金属量の少ない恒星が多い。ディスクやバルジの外側にはハローと呼ばれる領域が広がる。ハローには数百個の球状星団が球対称に分布し、銀河を周回している。
楕円銀河の場合には銀河本体は3軸不等の楕円体をした恒星の集団で、顕著な構造は見られない。渦巻銀河とは異なり、銀河全体としての回転運動はほとんど持たず、代わりに恒星のランダムな運動によって重力とバランスし、銀河全体の形が保たれている。楕円銀河には星間ガスはほとんど含まれていない。銀河の外側には渦巻銀河と同様に球状星団を含むハローが存在する。
1990年代以降、多くの銀河の中心に106-8太陽質量の大質量ブラックホールが発見されている。現在ではほとんど全ての銀河の中心にはこうした大質量ブラックホールがあるのではないかと考えられている。
また、銀河のハロー部分には、恒星や星間物質などの「目に見える質量」の10倍以上の質量があることが、渦巻銀河の回転運動の研究から明らかになっている。このため、ハローのことをダークハローと呼ぶこともある。この見えない質量を担うダークマターの正体については明らかになっていない。
[編集] 銀河の活動性・相互作用
銀河の中には活動銀河と呼ばれる激しい活動性を持つ銀河が存在する。活動銀河はその性質によってクエーサー・電波銀河・セイファート銀河・ブレーザーなどに分けられるが、全てのタイプで銀河中心核にある大質量ブラックホールが活動性の源となっているという活動銀河の統一モデルが現在では広く受け入れられている。
また、銀河団など銀河の密度が高い領域では、銀河同士の衝突・合体なども頻繁に起こる。このような衝突の最中にあると見られる銀河も多数発見されている。このような銀河同士の近接遭遇や衝突が起こると、銀河の潮汐力によって銀河内のガスが圧縮され、星形成が爆発的に起こる場合がある。このような爆発的星形成をスターバーストと呼ぶ。スターバーストが銀河全体で大規模に起こっている銀河をスターバースト銀河と呼ぶ。
[編集] 銀河団・大規模構造
宇宙の中での銀河の個数密度は一様ではなく、銀河の中には互いに重力的に束縛された数十個から数千個にわたる集団を形成しているものがある。このような銀河の集団を銀河群あるいは銀河団と呼ぶ。銀河団に属する銀河を銀河団銀河、特定の集団に属さない銀河をフィールド銀河、と呼んで区別することもある。また銀河団の中心には cD 銀河と呼ばれる非常に巨大で明るい楕円銀河が存在することがある。1990年代には、銀河団同士がさらにフィラメント状に連なって大規模構造と呼ばれる大きな空間構造を作っていることが明らかになっている。