銃社会
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銃社会(じゅうしゃかい)とは銃が日常的に存在する社会。
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[編集] 概要
この言葉は、日常生活には必要とされない筈の、また簡単に人命を失わせかねない危険な銃器が、社会の至る所に存在し、その治安維持に役立っている反面、治安を悪化させる要因ともなっている状態を指す。
この状態にある社会では、銃は所持する人の生命と財産を守る道具として扱われ、犯罪や暴力に対する抑止力となっている。しかし銃が、たった一瞬・ほんの数ドルにも満たないコストで他人の命を奪いかねない危険な器具である事から、その扱いは厳重に注意されて然るべきなのだが、それが携帯する事が可能で、また誰にでも(勿論、未熟な子供には持たされないが)入手可能であるため、害意を持った人間の手にある銃器は、その害意を増幅・増長させる結果を発生させる。
また人間は往々にして「間違える」動物であるが、これが銃に絡む問題ともなると、取り返しのつかない間違いをする事もある。例えば玩具の銃(遊戯銃・勿論殺傷力は無い)で遊んでいた子供を「今まさに銃を発砲しようとしている凶悪犯」と誤認、射殺後に「玩具で遊んでいた子供」だと判明するケースもあり、銃の存在から来る社会的ストレスは計り知れない。
主に米国の実情を示唆した言葉とされるが、その米国では銃による凶悪犯罪(強盗・殺人など)の問題もあり、銃規制法案が度々提出されるなどの規制の方向で進んでいる。ただ政治力のある全米ライフル協会の反対もあって規制法案が提出されるその度に破棄され、実効力の見られる規制法が成立したのは1991年の事である。(後述)
米国以外でも社会に存在する銃が社会に及ぼす影響は計り知れず、日本のように一般人の銃所持を全面規制してしまい、凶悪事件発生時には無力なままでいさせるのか、米国等のように銃を一般人に開放してそれらが強盗などを行うのを看過するかという問題に絡み、議論を招いている。
[編集] 銃社会と日本
銃社会という言葉が日本のマスコミに取り沙汰されたのは1994年に、ある医者から治療を受けていた男性が駅で医者を撃ったという品川区での事件から始まる。
1960年代から1980年代には暴力団絡みの銃発砲事件(暴力団同士の抗争による)に巻き添えとなる形で一般人に犠牲者が出る事件はあったものの、その一般人が銃を持って犯行に及ぶケースは、猟銃のそれを除けばほぼ皆無であった。しかし同事件で犯人は、暴力団から銃器を購入、そのまま凶行に及んだ事から社会に大きな不安を残し、日本における銃器の密売に大きな関心が寄せられた。
それ以前にもマニアが自分のコレクション用にと、個人で日本国外から銃を密輸入したケースもあったが、当時の暴力団は本来厳重に取り締まられている銃の所持が知られる事を嫌う傾向にあり、特に暴力団との繋がりを持たない一般人向けに銃を販売する事は見られなかった。
しかし1990年代に於いては、暴力団対策法等により従来の資金源を断たれた格好の暴力団末端組織が、上位組織への上納金捻出のために形振りかわず密売等に加担するケースも出て、同事件が発生したとされる。
日本では明治時代に一般市民でも上流階級の一部や職業によっては銃を所持する事が多く見られたが、第二次世界大戦終結以降に一般の銃所持が厳しく規制されている事もあり、密輸入ルートを持つ一部(非合法)組織を除けば、銃を所持するのは治安を維持する警察官やそれに類する職業に限定されていた。
だが1990年代より交通・物流の活性化や国際的な人的交流の拡大によって、日本国外から強力な銃器が密輸入されるケースは後を絶たず、警察に配備された銃器では対応できない事件やテロの発生が懸念されている。このため警察機構では従来では殺傷力が強く、被害が広範囲に出易いと採用を見送っていた短機関銃等の強力な銃器を配備する傾向も出ている。
[編集] 銃の世界事情
日本において銃社会問題は1992年に発生した日本人留学生射殺事件の事もあり、そのまま米国の社会問題と捉えられることが多いが、米国より深刻な国が他に存在しているのも事実である。フィリピンでは町工場規模の工場に於ける銃の密造が横行している上に、そのまま海外に流れるケースが多い。世界的にも銃の所持が一般に認められている国や地域は多い。
最も深刻なのは中東やアフリカなどの発展途上国である。内戦状態にあった国家や地域では自動小銃などが簡単に手に入り、児童でも小銃を所持しているケースも見られ、ひとたび犯罪が発生すれば市街戦のような様相を呈する。少年兵といった社会問題もあり、この問題のケアも国際社会の課題の一つとなっている。
またエジプトやイスラエル周辺の中東地域では、遊牧民を中心としてライフル銃(猟銃)を所有する家庭も多く、結婚式などの祝いの席で銃を空に向かって乱射する風習があるが、1990年代に、打ち上げられた弾丸が(数百メートル上空から)住宅街などに落下すれば死傷者を出す危険があるとして空砲を使うように求める法が成立、遊牧民側からは祝いの儀式(民族文化)に対する侵害だとして反発も見られたという。
[編集] 米国の銃規制
米国で銃規制が本格的に始まったのは1993年の通称「ブレディ法」と呼ばれる、銃販売における審査期間の設置や登録制度の制定、翌1994年には半自動小銃等の連射性があって危険度の高い銃器の輸入・販売に絡む規制により、都市部を中心に次第に銃の氾濫に抑制効果が現れてきていたとされるが、NRAなどの政治活動及び共和党政権化(ブッシュ政権)などに伴い、2004年に効力延長手続きがされず失効した。
この銃砲規制に関しては、米国のフロンティア精神を基盤とする全米ライフル協会の強固な反対(歴代大統領の中にも、同協会メンバーが少なくない)もあったが、同協会メンバーでもあった米(元)大統領ロナルド・レーガン在任中に発生した大統領銃撃事件で重傷を負った同元補佐官のジム・ブレディとその妻サラの活動が実を結んだ訳だが、これとて米国の銃社会問題を解決するに至らず、1999年4月20日にはコロンバイン高校銃乱射事件が発生、拳銃の販売可能年齢を18歳から21歳に引き上げると共に、ダイナマイト等の危険物の販売も銃同様に厳重な規制が検討された。
この銃問題に関して、正式な所有者以外が銃を使えないようにするロック装置の開発と取り付けの義務化を求める法案も提出されるが、全米ライフル協会に関連する議員の反対は根強く、採択は難航している。